60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(53)1979年のアメリカと1945年のアメリカ

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(53)1979年のアメリカと1945年のアメリ

 

 1932年生まれの評論家・哲学者と1932年生まれのアメリカ文化・文学の研究者とが、1979年に3日がかりで計13時間半、アメリカについて語りつくした記録が残っています(鶴見俊輔亀井俊介アメリカ』エッソ・スタンダード石油株式会社広報部、1979年)。鶴見は戦前アメリカに留学し、プラグマティズムなどについて学んだ経験があり、亀井は戦後アメリカに留学しています。

 

5p「亀井●(略)いまはOLとか大学生とか、たいへんな数の日本人がアメリカへ旅行していて、彼らはもう内村鑑三のように悲壮がらないで、もっと気楽にふるまっている。そういう人たちの持っているアメリカのイメージ……。そして、週刊誌や若者雑誌、グラビアの多い旅行の本がつくるイメージ……。そこには、アメリカ西部の荒野もいちおうはイメージとしてはいっているし、摩天楼がそびえる大都会というイメージもある。とにかく、ごく一般の人びとの中で、アメリカは身近なイメージとなって生きてきているように思います。
鶴見●人前で男女が手をつないで歩くというようなことが、普通になったでしょう。戦争が終わって占領軍の兵隊が日本の女性と手をつないで歩いているのが、日本の男にはきわめて屈辱的だったけれども、その風俗が、アメリカの映画や漫画を通しても、だんだんに日本にはいってきた。戦前のように細君が夫のあとを数歩おくれて歩くというのは、もうあまりないようだね。そこのところは、アメリカがわれわれ日本人の感性の領域まで深くはいっちゃったのじゃないか(略)」

6p「亀井●僕らの経験ですと、新制中学で男女共学が強制された。これもたいへんな文化的事件だったと思いますよ。占領軍のおえら方が来るから、その前で男女生徒のフォークダンスを見せるといって、ダンスをやらされました。当時はまだバンカラ風がのこってましたから、心のなかでは楽しんでいるくせに、フォークダンス反対のストライキをするとかいって騒いだものでした。とにかく、ダンスもまた占領軍のモラル・サポートをうけていた。つまり、キッスやダンスがデモクラシーであるという感じだった……」

 

 戦後約半世紀を経て「いまはアメリカに留学してアメリカ化するというのじゃなくて、日本で暮らしていてアメリカ化するということが、あらゆる面で可能になりましたね」(鶴見、19p)、その一方で「アメリカ風俗がいま日本にどんどんはいっていますね。そのアメリカ化かというのが、ひょっとするとアメリカよりもアメリカ化しているくらいのもの」「東京の新宿、六本木、原宿などの繁華街に生きているアメリカ風の文化というのは、アメリカ以上にアメリカ的なもの」(亀井、19p)という事態も進展していました。

 二人の「しゅんすけ」には、世代差や出身地(東京と木曽)の違いこそあれ、アメリカを観念的にとらえず、かつ一過性の表層的なものとしてもとらえないという一致点があります。

 

98p「鶴見●だれでも食べられる衛生的な食べもの。これが敗戦後の日本とアメリカをつなぐ一つの綱だったね。丸腰になった日本人に、アメリカはどんな過酷なことも強いることができたわけだが、それをしないで、とにかくいろんな食べものを調達し、伝染病がひろがらないように手を打った。第一次大戦後のドイツに対して、イギリスとフランスはたいへんな窮乏を強いて恨みを買ったけれど、アメリカは日本に対してそれをしなかった。だから日本人のアメリカに対して持つイメージは、いま生きているかなりの世代で、まず食いものというのが自然な連想じゃないかな。粉ミルクとパンとマーガリン(略)」

 

 1979年からさらに45年を経て、アメリカの食文化やライフスタイルに対し、強い驚きをもって接した世代も、もう少なくなりました(亀井氏も昨年ご逝去)。

 この対談のなされた1979年の刻印としては、「鶴見●エズラ・F・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がよく売れていますね。日本語訳も売れているし、英語版も日本で売れている。英語版を注文したら品切れだった。/亀井●日本人をよろこばせるのじゃないですか」(106p)の件。多幸感あふれる日本の80年代へのとば口感が、ひしひしと伝わってきます。それに対する鶴見俊輔のカウンターの言葉。

 

121p「鶴見●占領時代にわれわれが落ちこんだ劣等感を忘れて、ご破算にしてというのじゃいけないんだ。私はつい最近になって、沼正三の『家畜人ヤプー』を読んだんだが、あれは占領文化の重大な所産で、あれから手を放してはいけないという気がする。沼正三は復員兵として日本に帰ってきて、ものすごい劣等感に陥ったんだな。その劣等感を、白人の女性に対して這いつくばって暮す人間の感情として造型しているのが、『家畜人ヤプー』でしょう」

 

 最後に、二人にとっての「アメリカとは」に関して、もっとも肝だと思った個所を引いておきます。

 

120p「鶴見●アメリカ思想がわれわれにとって意味があるのは、日本のインテリのなかに明治以後つねにある観念的な狂信への、一種の解毒剤としてであってね。ヨーロッパに追いつけ追いこせで、観念の最高のものを握ったと思えば全部がそこで新しくなるという考え方に対して、つねにその足を引っぱる役割をする。で、どういう暮らしをするの、何を食っていくの、というのが、福沢諭吉以来アメリカ思想としてあったでしょう。
亀井●頭より胃袋よね」

 

 やはり、鶴見はプラグマティズムの思想家だし、亀井はアメリカ大衆文化の碩学です。