60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

上京日記・続

そういえば外苑前の駅あたりを歩いて、どう見ても阿部サダヲだ!という人とすれ違いました。
たぶん本人だと思います。ですが、周囲の人たちには格別リアクションありません。
先週金曜、梅田東通商店街でシャンプーハットの小出水氏とすれ違いました。
「わぁ〜、こいちゃんや、こいちゃんや」「こいちゃ〜ん」とみな口々に叫んでました。


東京と大阪の最大の違いはそこだと思います。


以下は最近活字になった書評です。
赤門脇に着工が予定されているという安藤忠雄設計の福武ホールに
プロパガンダ系ポスター(国際構成主義)はけっこう映えそう。
大々的な展覧会をやっていただきたいものです。


吉見俊哉編『戦争の表象』東京大学出版会

 1921(大正10)年に朝日新聞社の編集・発行による『大戰ポスター集』(以下『大戰』)という図録が公刊された。
 朝日新聞社は、第一次大戦の主要交戦国の戦時ポスターを約6000点収集し、大阪・東京を皮切りに日本・中国・朝鮮など計31箇所で展覧会を開催しており(田島奈都子「近代日本における広告の啓蒙普及期間としての商品陳列所」『メディア史研究』21、2006年)、この『大戰』には170点の図版が採録されている。その巻頭に曰く「ポースター図版一百七十種、英仏各二図、米独各三図合計十種を三色版とし、自余の一百六十種はこれをフオトグラビヤ版に上せたり。フオトグラビヤ版を輪転印刷により新聞附録とせるは大阪朝日新聞を以て我邦の嚆矢とし、更にこれを平板(ママ)印刷に附して書籍として公刊するはこれまた日本に於て前例なき所なり。この意味に於て本書は我が出版界竝に印刷界に一新紀元を画せりといふも過言にあらざるべし」(原文は旧漢字)。
 それから85年を経て、情報学環所蔵の第一次大戦期のプロパガンダ・ポスター660点余を収めた本書が刊行された。その掲載作品の中には、『大戰』に登場していたものも少なくない。だが面白いことに、『大戰』の段階では、いかに「ポースター」を高い再現性のもと図版・図録化しえたかが誇られていたのに対し、本書では当時ポスターに用いられた印刷技術そのものがインテェンシヴな検討の対象とされ、マテリアルとしてのポスターがまず問題とされている。このような「戦争の表象に動員された技術の検証」は、メディアとテクノロジーの連関を考える上で不可欠な作業であろう。
また、当然こうした資料の公刊は、戦争の表象分析に大きく寄与するものである。たとえば、サム・キーナン著『敵の顔:憎悪と戦争の心理学』(柏書房、1994年)の訳者あとがきには、日本における「敵の顔の貧困さ」という佐藤卓己らの指摘がある。アメリカのポスターなどが、再三敵を“Hun”として描いたのに対し、第二次大戦などでの日本のプロパガンダは敵を鬼畜と呼びながらも、鬼畜として表象することに熱心であったとは言いがたい。『大戰』には、「日本のポスターは世界一の貧弱」(内田魯庵)という状況を克服し、実戦に備えるという問題意識が貫かれていたが、そこから日本のプロパガンディストたちは、何を学び、学ばなかったのか、またそれは何故なのだろうか。そうした問題を考える上でも、本書は貴重な資料となろう。
 そして、外務省情報部収集のポスターが、本書にまとめられるに至る経緯にも興味がそそられた。かつて佐藤健二は、情報学環の前々身である新聞研究所の教授池内一氏旧蔵資料の来歴を辿りながら、戦争と流言研究、ないし軍と流言管理の関係を鮮やかに描いてみせた(佐藤健二『流言蜚語』有信堂、1995年)。『大戰』からは、収集に奔走した海外駐在の朝日新聞社員の姿がヴィヴィッドに伝わってくる。この660点余に関しても、85年以上の時間や機密の壁を、何とかブレイクスルーできないものだろうか。