60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

蘆花の旧宅


昨日は大宅壮一文庫八幡山から芦花公園へと歩いてみる。
徳冨蘆花旧宅は中に入れて、なかなか面白かったが、薮蚊が〜


小谷敏ほか『世代論・再考』パルテノン多摩、2002
阿部真大『居場所の社会学日本経済新聞出版社、2011
タイラー・コーエン『創造的破壊』作品社、2011


島田紳助報道に関しては、別に何もないけれども
1990年前後のCLUB紳助(朝日放送)とEXテレビ読売テレビ)が
ピークだったのでは、という気がする。
CLUB紳助はゲストをどうヨイショするかよりも
視聴者にとって何が面白いかを考えていた、
というか紳助にとって何が面白いかを追求すると
それが見るものにとっての面白さになっていたように思う。
時代とのシンクロ率大。ただし子分はべらす感じはすでにあった。
EXテレビからは、テレビ鑑定団がスピンオフ。
ゲストの素人いじり(キャラ設定)の技術もあのへんからだろう。
2000年前後の紳助の人間マンダラ(関西テレビ)や
松紳広島テレビ日本テレビ)は、ちょっとつらかった。
個人的には、紳助竜介名義にはなるが
1980年前後の誰がカバやねんロックンロールショー(関西テレビ
ヤングプラザ(朝日放送)あたりがもっとも好き。
あの頃の『プレイガイドジャーナル(ぷがじゃ)』は懐かしい。
プガジャ製作の『ガキ帝国』、井筒監督が映画評を書いていた頃。
しかし、『ぴあ』ですらなくなる世の中だからなぁ〜
まぁ、M1もなくなったし、いいタイミングってことなのだろう。
これが中堅どころのチャンスになりゃあ、いいけどなぁ〜