60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

プレゼンテーション力



10月号の『児童心理』、うまく話せない大人が
「プレゼンテーションの力が求められる時代に」という文章を載せています。
以下は、昨日の卒業式(社会学部チャペルでの証書授与式)での学部長挨拶。
あまり、できはよくなかったが、過去は振り返らない。


今日は学会で司会仕事。うまくいかなくても、振り返らない。


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まずは、ご卒業おめでとうございます。

本学部では、現在秋入学は行っていませんので、ここにいる人たちは4年半以上学部に在籍した人たちということになります(修士課程修了者も2年以上)。留学や就職活動等で、納得の上で半期卒業を延ばした人もいるかもしれませんが、本来ならば4年で卒業を目ざしたのに…という人も多いかと思います。同じ年に入学した人たちよりも、半年以上遠回りをしてしまった、という思いを抱いている人もいるかもしれません。
でもまぁ、事情や思いは人それぞれでしょうが、この半年の遠回りをできるだけポジティブにとらえてもらえたらなぁと思います。
現在私は大学の教員をしていますが、大学教員の多くが、大学を出てそのまま大学院に進んで研究を続けるという経歴をたどっているのに対し、私の場合は大学出ていったん企業に就職し、その会社を休んで大学院に言った時期を含めて、計12年間企業に勤めてから、大学教員になりました。大いに遠回りして、この世界に入ってきたわけです。
寄り道せずに一直線に学者、大学教員を目指した人たちに比べ、研究者としては出遅れました。挽回を試みましたが、われわれの世代のトップグループの研究者たちに比して、遅れをとったまま今日に至っています。
でも、そのことをあまりネガティブに考えても仕方ないとも思っています。遠回りする必然性はあったのだし、遠回りしたことを少しでも自分の武器に変えていければ、と考えてきました。

皆さんの中にも、同学年に「遅れをとった…」と意識をどこかで持っている人もいるかもしれません。
そうした人たちに、一つだけ、あるマンガの中のエピソードを贈りたいと思います。

3月のライオン』、というマンガがあります。将棋のマンガで、その中に島田八段という棋士が登場します。年齢は30代後半。いちばん高いランクで戦えているので、実力派の一人とはじゅうぶんに言えるという設定です。
しかし、島田八段には、同じ世代にとてつもなく強い棋士がいました。いろんなタイトルをたくさん持っている人なのですが、とりあえずここでは宗谷名人と呼んでおきます。島田八段は10代の頃から、その宗谷という人と戦ってきたのですが、プロ入りも昇級も、どんどん先に行かれてしまい、つねに遠くにその背中を見ながら、追いかけ続けることになります。宗谷名人が、名人以外にも多くのタイトルを独占していることもあって、まだ島田八段はタイトルを取れずにいます。
兎と亀のたとえ話でいうと、宗谷名人は兎で、しかもどんどん先に行くけどまったく休んだりせず、研鑽を続け、力を増していきます。宗谷名人と島田八段の差は、どこまでいっても縮まりません。しかし、島田八段は言います。

(宗谷名人との差が)「縮まらないから」といって、それが俺が進まない理由にはならん。
「抜けない事が明らか」だからって、オレが「努力しなくていい」って事にはならない。

私が29歳のとき大学院に入ったとき、指導教員をお願いしたのは、助教授になったばかりの、4歳年上の方でした。私にとっての宗谷名人ですね。その先生を追い抜けないことは明らかだし、差は開く一方なのですが、でも焦らず、腐らず少しでも前に進もう、何かをしようと思い今日に至っています。
皆さんの場合、同級生が先に行ったとしても、ほんの数年です。また、別に競争する必要もないので、自分のペースで、でも着実に前へ前へと進んでほしいと思います。そのための、一つの区切りの日として今日をとらえてほしいと思います。まずは卒業、おめでとうございます。これからの人生、悔いの残らぬよう、進んでいってください。