60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

文化財とドルヲタとキリスト

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名古屋の三越栄店にて。以下は、先週のチャペルでの話。

 

ーー2019年7月11日社会学部チャペル「学期末にあたって」ーー

 

 社会学部では、毎学期末のチャペルアワーにおいて、学部長が講話をする慣習があるので、一言、お話します。

 何を話そうかと考えたのですが、やはりチャペルという場なので、キリスト教に関係した話がいいかと考えました。ただし、私は信者でもないし、キリスト教に詳しいわけでもないので、そんなに高度な話もできません。まぁ、気軽に聞いてもらえたらと思います。

 今日は、ベネディクト先生にお願いして

 

エスは言われた。「『心を尽くして、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」マタイ福音書22、37 – 40

 

という箇所を読んでいただきました。主への愛とともに、隣人を愛せよという有名な箇所です。

 なぜ、この箇所を私が選んだかというと、次のスライドは単にウィキペディアを貼っただけなのですが

 

アガペーギリシア語: αγάπη)は、キリスト教における神学概念で、神の人間に対する「愛」を表す。神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。また、それは不変の愛なので、旧約聖書には、神の「不朽の愛」として出てくる。新約聖書では、キリストの十字架上での死において顕された愛として知られる。

またキリスト教においては、神が人間をアガペーの愛において愛するように、人間同士は、互いに愛し合うことが望ましいとされており、キリスト教徒のあいだでの相互の愛もまた、広い意味でアガペーの愛である(マタイ福音書22、37 - 40)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%9A%E3%83%BC

 

ここにある「アガペー」という言葉について、お話したいと考えたからです。神から人々に対する無償の愛、それと同様な人間同士の愛。たまたまですが、先ほど歌った賛美歌にも「与えて報いを求めぬ まことの愛の人」といったフレーズがありました(520番「真実に清く生きたい」)。

 で、なぜ、「アガペー」について話したいと思ったかというと、単純な話ですが、この5月くらいに『アガペー』というマンガの本が出たからです。作者は、真鍋昌平さんです。この本、誰か読んだ人いますか?

 いないようですねぇ、では真鍋昌平さんと聞いて、ピンと来るという人は?

 あぁ、パラパラと、って感じですねぇ。

 真鍋さんは、ずっと『闇金ウシジマくん』を描いてきた人で、最近ウシジマくんもひとまず完結しました。

 闇金ですから、非合法金融の話ですね。いろんな事情を背負った、いろんな世界の人が、さまざまな理由でウシジマくんのカウカウファイナンスに現れます。アンダーグラウンドな世界の人も多いのですが、ごく普通の、一般的な人も、何かの拍子でウシジマくんと関わってしまう。

 真鍋さんという人は、ものすごく取材がていねいな作家だと思います。ウシジマくんの前に現れるさまざまな世界の人の、その世界のありようを丹念に、ディテールに至るまで、リアルに描いていきます。平成の格差社会の現実を、入念にすくいとっていきます。なんか、社会学でいうところの参与観察、フィールドに出る、エスノグラフィを書く、といった行為に近い感じがします。なので私は、かつて『社会学ウシジマくん』という本を書いたことがありました。現代社会論として『闇金ウシジマくん』を読んで、教育社会学ウシジマくんとか家族社会学ウシジマくんとか、社会学への導入にこのマンガは使えるのではないか、という意図でした。

 『アガペー』に話を戻します。この本は短編集で、たぶんウシジマくん関連の取材の中で得た、ウシジマくんの中では使えなかったネタ、使わなかったエピソードを短編マンガにまとめていき、それらを集めたんだと思います。

 で、表題作の「アガペー」です。これが、どんな世界を描いているかというと、地下アイドルとかライブアイドルとか呼ばれる人たちと、そのファンたちをめぐっての物語です。

 主人公はある地下アイドルグループのファンである二人組。20代ぐらいの男性、勤め人と、30代ぐらいの男性、こちらは株式投資などで生計を立てている、なので時間やお金に余裕があるのだと、周囲に威張ったりもしています。その30代男性を描いたコマがこれなのですが、投資で儲けているというのは嘘で、親から受け継いだ家に住み、無職のまま、遺産を「ヲタ(ク)活(動)」に注ぎ込んできたけれども、数十秒の握手のためにCD何十枚も買うような無理がたたって、その家も差し押さえられかけています。30代男性は言います。

 

「気持ち悪い人間にも、好きって言える資格があるのがドルヲタだ。

アイドルの旬は短くて儚いから、俺はその一瞬に自分の全人生を捧げる」

 

気持ち悪いととる人もいるかもしれませんが、なんかカッコよくも思えてくる、ともかく胸を打つセリフで、胸に迫るシーンではあると思います。要するに、ここで言う「アガペー」とは、アイドルファンたちの、アイドルに対する「無償の愛」「報いを求めぬ愛」です。

 ちょっとこれだけでは暗くなるかもしれないので、『推しが武道館いってくれたら死ぬ』というマンガも紹介しておきます。こちらは岡山の地方アイドル、女性7人組の話です。で、1巻目の表紙真ん中にいる「舞菜」と、その熱狂的なファンの20歳くらいのフリーターの女性、いわゆるトップヲタのエリさんとの関係を軸にしたマンガです。

 この舞菜、1巻目表紙ではセンターで大きく描かれてますが、サーモンピンクという微妙なテーマカラー、メインカラーを割り当てられていることからもわかるように、この7人のうちではもっとも人気がありません。でも、そのトップヲタであるエリさんは、めげていません。高校時代の体育のジャージがサーモンピンクっぽかったことから、そのジャージでいつも現場に現れます。というか、ほぼそれしか服を持っていません。バイト代のすべてを、ヲタ活につぎ込んでいます。

 で、私がなぜ、アイドルやそのファンダムに興味を持っているかですが、私はもともとアイドルにはまった経験もなければ、何かのファン活動したこともありません。ただ、ここ3年間、万博公園にある国立民族学博物館の共同研究「応援の人類学:政治・スポーツ・ファン文化からみた利他性の比較民族誌」(2015~2018年)に誘われ、参加してました。文化人類学者が中心の共同研究で、ある人は大学応援団に聞き取りに回ったり、スポーツ社会学者がプロ野球私設応援団、外野席でラッパ吹いてるような人たちにインタビューしたりと、そうした発表をおもしろがって聞いてました。で、私はここで何をすべきかということで悩みましたが、唯一興味が持てたのが、アイドルを応援する人々のことです。ステージ上でパフォーマンスするアイドルに対して、客席で応援パフォーマンスをする人たち、そのパフォーマンスの様子の歴史的な変遷を調べてみたいと思いました。

 応援パフォーマンス、というのは、たとえば『推しが武道館いってくれたら死ぬ』にこんなシーンがあります。

 正月、バイトもライブもなく、実家でごろごろしているエリさんに対し、お母さんがちょっとは料理でも手伝いなさいと言います。でも、エリさん、不器用です。お母さんは思わず「あんた、いったい何ができるの?」。

 エリさんは、「パン裏返せるよ…あとね、人の応援」と答えます。

 エリさんのバイト先はパン工場です。パン工場といっても、バタ子さん的なことではなく、コンベアにのって流れてくるパンをひたすら裏返す作業。

 お母さん、「じゃあもう手伝わなくていいから そこで応援してて」。

 そこで、エリさんは「言いたいことがあるんだよ やっぱり咲子(母)はかわいいよ」と、「ガチ恋口上」を叫びます。すると、正月なので遊びにきていた親戚の子どもから、「えり、何言ってんの?」とバカにされます。

 ネットの動画で、コールとかMIXとかいろいろみてますが、本当に曲のサビの部分などで、推しの名前を叫ぶ「ガチ恋口上」ってあるんですね。最後に「絶対、結婚しようなぁ!」とか。何言ってんだかなぁ、と思いますが、けっこう海外にも波及してますね。東アジアの国々で、地元のファンたちが日本語風発音で「タイガー、ファイアー、サイバー…」とか叫んでるのをみてると、すげぇなぁと思ってしまいます。

 こんなふうに、アイドルの楽曲に合いの手、コールを入れるのって、いつ頃からはじまったかというとですね、アイドルの本格的な登場期である1970年代頃からです。で、これは1982年の男性誌の「親衛隊の青春」というグラビア特集ですが、1982年というのはアイドルの当たり年で、82年組と呼ばれる盛り上がりをみせた年です。この年デビューは、中森明菜さん、小泉今日子さん、堀ちえみさん、早見優さん…。まぁ、皆さんにとっては親世代の話でしょうが。

 で、この親衛隊ですが、ハチマキの感じとか、ウンコ座りして、カメラにらんでるポーズとか、一言で言って、非常にヤンキーっぽい。これは小泉今日子さんの今日子隊ですが、小泉さん、今はずいぶんおしゃれな感じになってますが、当時はこうした剃り込み入ったお兄ちゃんたちに囲まれてました。「俺たちの青春の血のタギリ、この女に賭けてるんだぜ、文句あるかよ!!」って、別に文句ないですけど。

 1970年代に猛威を振るった暴走族が、道路交通法の改正などで、沈静化した80年代。以前ならバイク乗り回してたような男の子たちが、アイドルの親衛隊に流れてきていた、ということだと思います。親衛隊って呼び名もすでに、暴走族っぽいですね。総長を守り、警察に追われるときは身を挺して助けるとか。

 この親衛隊は、すでにペンライト振り回してましたし、独特なコールをいれてました。「エル・オー・ブィ・イー、ラブリィ○○」とか「ウォー、レッツゴー」など、現在のコールや口上に比べれば、短いし原始的かもしれませんが、原型といえると思います。

 で、80年代のアイドルブームのあと、10年間ぐらいのアイドル冬の時代が続きます。そして皆さんが生まれた頃、ハロープロジェクト系のアイドルブームがあり、48名など多人数グループの時代をむかえます。

 すると、アイドルを応援するという実践は、ヤンキー的というよりは、もともとヤンキーとは水と油であるはずの、「オタク」たちのものとなっていました。これは2007年に「ヲタ芸」を特集した雑誌記事で、モーヲタモーニング娘。オタク)たちの応援の身振りを紹介してます。そのうちのいくつかは、明らかに親衛隊由来のものです。たとえば親衛隊時代、「1.2拍子」と呼ばれてた手拍子とその所作は、まるっきり現在のヲタ芸PPPH(パン、パパン、ヒュー!)」です。

 その雑誌記事にある年表でも、ヲタ芸の源流として80年代初頭の親衛隊文化があがっています。80年代中盤のおニャン子クラブくらいまでは、アイドルファンといえばヤンキーっぽかったです。工藤静香とか、わかりますか?

 もちろん、当時からオタク系のアイドルファンもいましたが、少なくとも現場を仕切っていたのは、ヤンキー系のファンでした。

 このように1980年代のアイドルファン文化と、2000年代のそれとが、切れているようでつながっている、つながっているようで切れている、ではそれはなぜか、1990年代に何があったのか。そんなことで、最近論文を書いてました。しかし、私のように、非沼ハマリ体質の人間には、ファンたちのことが本当のところ、よくわかりません。

 そんな時、チャペルで大岡先生が『トクサツガガガ』というテレビ番組の話されてたんですよね。私もあの番組好きで、見てたのですが、とくに名セリフと思ったのが、これですね、「やめようと思って、やめられる人間だったら とっくの昔にこんなことやめてるから…」。

 主人公は20代のOL、特撮モノが好きで、部屋には戦隊モノのフィギュアが並び、日曜日はヒーローショーをはしごしたりしています。そして、それを周囲にはさとられないようにしてますし、とくに母親には隠しています。でも、それが知られてしまって…というストーリーです。いやこのセリフも、胸を打つというか胸に迫るというか。

 

 さて、ここからどうやってキリスト教に話を戻しましょうか。

 いちばん簡単なのは、『トクサツガガガ』の枠で今やってる『聖おにいさん』、あの仏陀とキリストがアパートでゴロゴロしてるって話ですね、あれにつなげるという手もあるのでしょうが、ここでは最後に、『聖おにいさん』の前にやってた番組『腐女子、うっかりゲイに告る』について紹介しておきます。

 この紗枝という女子高生は、いわゆる腐女子、コンテンツ中の男性同士の関係を同性愛と読み替えてみたり、男性アイドルグループの誰と誰とがカップルなのかを妄想して楽しむ人です。その彼女が、書店でBL、ボーイズラブ本を買っているところを、同級生の純くんに見られてしまいます。それをきっかけに、紗枝は純のことが好きになるのですが、純はゲイで、年上の彼がいたりします。純はゲイであることを周囲には言えず、とくに、息子が異性愛者であると信じて疑わず、早く孫の顔がみたいなどという母親には隠しています。ゲイであることがしんどくなっていた時期、紗枝に告白され、純は紗枝ならば恋愛の対象とできるのではと思い、つきあい始めます。

 でも、純はやはり紗枝を恋愛の対象とすることはできず、同性愛者であることを自覚していきます。そして、最終的に二人は別れるわけですが、純が「なぜ、同性愛者に生まれたんだろう」と苦悩していることを知っていた紗枝は、「純君、以前、なぜ僕たちみたいな人間が生まれるんだろう」って言ってたよねと問いかけます。そして、「同性愛者がなぜ生れてくるか…その答え、私わかったかも」と切り出します。

 その答えは、私は秀逸だと思ったのですが

 

「神様は腐女子なんじゃないかな!」

 

というものでした。われわれをつくった神様には、同性愛を好ましく感じる部分もあって、一定数そうした人をつくられた…。

 恋愛とか性愛とかの話だけではなく、なにかにはまる、入れ込むというのは、理由云々ではなく、もともとそうつくられた人間なのであるから。そう考えれば、いらぬ罪悪感を抱いたり、自分と異なる趣味・性向を有する人を差別・迫害するようなこともなくなります。もちろん、法にふれない、他者の迷惑とならないことが大前提ですが、何が好きだろうが、どの沼にはまろうが、人は自由であり、他人の自由を侵害してはならない。そうした多様性を認め、寛容である社会こそが、昨日までのテーマである、「よりよい社会とは」の答えだと私は思います。

 さらに、無理に今日のテーマである「学期末にあたって」に結びつけるならば、皆さん、いろんなものにはまり、熱中してるかもしれませんがーーあぁジャニヲタの人も来てますねーーこの2週間だけは、それをいったん休止して、試験やレポート、がんばってください。サステイナブルに、持続可能にオタ活を続けるためには、冒頭の「アガペー」の30代男性のように破滅への道を走るのではなく、やることやった上で、オタ活、オタライフを続けてください。

 以上で、私からの学期末のメッセージを終わります。

 

今日は授業実施日。3年ゼミとか面談とか、校務・教務・原稿書きなど。

 

昨晩、「ラッパーに噛まれたらラッパーになるドラマ」を録画で。

小芝風花、茨城弁もできるんだなぁ。トクサツガガガは、名古屋の話だったが。

「べしゃり暮し」は関西弁! がんばれ、堺市堺区出身。横山やすし

 

エスパー・ユール『ハーフ・リアル』ニューゲームオーダー、2016