60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

恵送御礼

 

日経広告研究所の客員をさせていただいてるということでのご恵送。

個人的に一番ヒットしたのが、メディア関与度の6タイプという話。ともかく、最前線の動きに追尾するため、広告白書には毎年お世話になっております。

 

それから広告ついでということもないですが、

https://sidnanba.hatenablog.com/entry/2023/10/19/000000

広告パロディないしパロディ広告について最近書いたため書棚をひっくり返し、四方田犬彦『クリティック』(冬樹社、1984年。1991年刊の新装版にはない部分より)。

 

藤原新也は『フォーカス』誌に連載していた『東京漂流』第六回(十二月四日)において、サントリーシルクロード広告をパロディ化した。その「過激」が編集部の許容範囲を超えていたため、連載は中断され、藤原はのちに同名の単行本(情報センター出版局・一九八三)にその経緯を発表した。

問題の写真は藤原がインドに滞在中に撮影した写真であり、人間の屍肉を二匹の野犬が貪り食おうとする光景を望遠レンズで収めたものである。「ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」というブラック・ユーモアの強い川柳がキャプションとして添えられていることからも瞭然としてるが、作品全体はサントリーの広告が演出する「偽シルクロード」の映像をめぐる憤激に源を発している。この点で、藤原の作品は、翌八二年十二月号の『ビックリハウス』誌でパロディ大賞を獲得した神部敏朗の「悪夢街道」とは異質のものと見なさなければならない。神部のパロディは、原広告の驢馬と原住民の位置をユーモラスに逆転させたものであり、無害な自己完結性の領域に留まっている。一方、藤原の「ヒト食えば……」は厳密に計算された神話破壊の意志にもとづいたものである。広告写真の人工宇宙が排除してきた汚穢、死の恐怖、他者、狂気といった記号論的に劣勢の徴が、この映像内側には充満している。

『東京漂流』も書棚ひっくり返せばどこかにあると思う。神奈川金属バット両親殺害事件の写真が印象的だったという記憶が…

藤原新也は、どこかで『早春スケッチブック』(山田太一)の山崎努(元カメラマンの役)とダブっていた。当時。

 

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今日は授業準備やZoomウェビナーにてもろもろ拝見・拝聴。