60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(13)庄助(1950年生)10歳とモデルガン

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(13)庄助(1950年生)10歳とモデルガン

 

 このシリーズの2回目に述べたように、1950年代から60年代初頭にかけて、アメリカのテレビドラマが日本のお茶の間(←死語)に溢れていました。8回目にも引いた山口瞳江分利満氏の優雅な生活』は、長男「庄助」とモデルガンのエピソードから始まります。

 

「少年はしばらくコルトに凝ったことがある。食事中も手離さず、夜も抱いて寝たが、1年経(た)って小遣(こづか)いをためてSNUB-NOSE.38を買った。私立探偵(プライベート・ディテクティブ)のつもりである。「サンセット77」というテレビ映画をご存知のかたはすぐ分るはずと思うが、上着の下に仕込むピストルである。/彼は様々にスナッブ・ノーズを発音してみた。勉強中にもときどき「スナッブ・ノーズ!」という気取った声が聞かれた」(『山口瞳大全第一巻』新潮社、1992年、11p、()内は原文ルビ、以下同様)

 

 庄助少年が辞書を引いてみたところ、「獅子鼻」と出てきて、「獅子の鼻、勇ましいネーミング!」とさらに気に入ったのですが、母親にそれは「獅子鼻(ししっぱな)」と読むのであり、獅子舞の頭のような、ぺちゃんこな鼻のことだと教えられ、一気に熱がさめていきます。江分利満氏はほぼイコール山口瞳であり、息子庄助はそのまま、作家・エッセイストの「山口正介」となります。山口正介は、1950年生まれ。10歳当時のエピソードなので、1960年から61年にかけての出来事だったのでしょう。

 アメリカの探偵ものドラマ「サンセット77」は、本国では1958年に放送開始で、日本では1960年から63年までKRT(現在のTBS)にて放送されました。その頃山口瞳が勤務していたサントリーの一社提供だったので、わざわざ番組名まで出したのでしょう。

 この頃のモデルガンブームに関して、社会学の領域で以下のような論文もあります。探偵ものというよりは、西部劇のブームによるものですが。

 

19p「テレビ西部劇を模倣してモデルガン遊びをする場合、暴力の上演は同時に「アメリカ」の上演でもある。モデルガン遊びには必然的に「アメリカ」の上演という付加がなされてしまう。これが他の暴力の上演にはみられない、モデルガン遊びに固有の特徴である。/先に述べたように、その「アメリカ」そのものは、当時の少年たちが惹きつけられてやまないものだった。だから「アメリカ」の上演という付加は、彼ら自身にとって歓迎すべきことであったにちがいない」(髙橋由典「暴力の上演:一九六〇年代初頭のモデルガンブーム」『ソシオロジ』63-3、2019年)

 

 当時はまた、少年マンガでは戦争もののブーム期でもありました。少年マンガ誌の戦争特集などを見ても、戦後生まれの少年たちにとっては、「アメリカはかつての敵というよりは、戦後的価値の体現者なのであった」(同18p)のです。

 1961年生まれの私にとって、少年誌の戦争マンガといえば「光る風」(山上たつひこ、1970年)。戦争反対の声や学生運動の盛り上がりを時代背景として、はっきり言って反戦マンガでした。以前も書いた通り母親が小田実ベトナムに平和を市民連合)と同級生だったりして、私はミリタリー趣味とは縁遠かったのですが、私の子どもの頃もプラモデルと言えば軍艦や戦車、戦闘機などなどが人気でした。私のように金閣寺や姫路城を作って喜んでいたのは極めて異端で、「宇宙戦艦ヤマト」(1974年、テレビアニメ化)にも乗りそびれていました。

 まぁそれはともかく、1960年頃、アメリカのテレビドラマが大人気で、少年たちは「アメリカ=戦後的価値の体現者」として、モデルガンを抱いて寝ていたのでした。