60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

リンスのいらないメリット

里帰りをして、実家の風呂場に
「リンスのいらないメリット」と「メリットリンス」が
並んで置いてあるのを発見。ちょっとツボ。


そういえば、熊田千加慕さん、合掌。


報道技術研究会というものを昔調べていて
元会員で唯一存命なのは、この方くらいかなぁ〜
と思ってましたが。いよいよ昭和は遠くなりにけり。
熊田五郎氏は、山名文夫氏の助手みたいな形での参加だったと推察。


毛利嘉孝『ストリートの思想』読了。
同じ頃に大学を出て、同じように広告代理店に在職された方なので
もろもろよくわかる本ではありました。
ただし、批判的空間としての大学の終焉に関連づけて、
「大学教員のサラリーマン化」という語句を用いている点には、やや?。
大学教員も給与生活者なのだから、本来的にサラリーパーソンだろうし
「サラリーマン」という語を否定的な含意において使うの、
もうやめましょうよう、とも思う。
(もちろん、広告代理店社員もサラリーパーソン)
芸大生ではなく、文系学部生とつきあっている身としては
「何とかサラリーパーソンになろうとしてもがいている学生」を
日々目の前にしているわけで。


あと「知識人」という語句が使用されている点も、ちょっと引っかかる。
何ら知識を持たない者などいないのだから、
ことさら「知識人」という言い方をすること自体に
生理的な抵抗感を覚えてしまう。
「知識人」「文化人」という語彙そのものが、早く無くなればいいのに
と常日頃思っているもので。
大学教員は、知識人でも文化人でもなく、サラリーパーソンである
というところからものを考えはじめたい人間なもんで。


サラリーパーソンとしての大学教員ということでいえば
ジョエル・ベスト『なぜ賢い人も流行にはまるのか:ファッドの社会心理学
はオススメ。社会心理学での流行研究本くらい思って読み始めると
どうして、どうして、近頃の大学改革批判本でした。
出世と保身を求め、さまざまな大学改革理論・実践のファッドに、
飛びつく者(ないしは否応もなく巻き込まれる者)としての大学関係者…。


なんか、これが今いちばんリアルな大学教員の姿なような…。


でもそれを、所詮サラリーパーソンだからと自嘲するのではなく
かといって改革のための改革に忙殺されるのではなく、
ファディッシュではなく、
つねにイノヴェーティヴな存在であり続けたいもんだと思いますた。