里帰りをして、実家の風呂場に
「リンスのいらないメリット」と「メリットリンス」が
並んで置いてあるのを発見。ちょっとツボ。
そういえば、熊田千加慕さん、合掌。
報道技術研究会というものを昔調べていて
元会員で唯一存命なのは、この方くらいかなぁ〜
と思ってましたが。いよいよ昭和は遠くなりにけり。
熊田五郎氏は、山名文夫氏の助手みたいな形での参加だったと推察。
毛利嘉孝『ストリートの思想』読了。
同じ頃に大学を出て、同じように広告代理店に在職された方なので
もろもろよくわかる本ではありました。
ただし、批判的空間としての大学の終焉に関連づけて、
「大学教員のサラリーマン化」という語句を用いている点には、やや?。
大学教員も給与生活者なのだから、本来的にサラリーパーソンだろうし
「サラリーマン」という語を否定的な含意において使うの、
もうやめましょうよう、とも思う。
(もちろん、広告代理店社員もサラリーパーソン)
芸大生ではなく、文系学部生とつきあっている身としては
「何とかサラリーパーソンになろうとしてもがいている学生」を
日々目の前にしているわけで。
あと「知識人」という語句が使用されている点も、ちょっと引っかかる。
何ら知識を持たない者などいないのだから、
ことさら「知識人」という言い方をすること自体に
生理的な抵抗感を覚えてしまう。
「知識人」「文化人」という語彙そのものが、早く無くなればいいのに
と常日頃思っているもので。
大学教員は、知識人でも文化人でもなく、サラリーパーソンである
というところからものを考えはじめたい人間なもんで。
サラリーパーソンとしての大学教員ということでいえば
ジョエル・ベスト『なぜ賢い人も流行にはまるのか:ファッドの社会心理学』
はオススメ。社会心理学での流行研究本くらい思って読み始めると
どうして、どうして、近頃の大学改革批判本でした。
出世と保身を求め、さまざまな大学改革理論・実践のファッドに、
飛びつく者(ないしは否応もなく巻き込まれる者)としての大学関係者…。
なんか、これが今いちばんリアルな大学教員の姿なような…。
でもそれを、所詮サラリーパーソンだからと自嘲するのではなく
かといって改革のための改革に忙殺されるのではなく、
ファディッシュではなく、
つねにイノヴェーティヴな存在であり続けたいもんだと思いますた。