60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

東奔西走2

金曜はネクタイを締めて在阪某局へ。大人のお仕事。
今日は研究会出席のため、日帰りで東京へ。
新幹線に監禁された方が、校正作業は進むよう。


あと、荒井悠介『ギャルとギャル男の文化人類学』読了。
サー史についての手際よい概説と、
精緻な00年代のギャル・ギャル男事情。
ウシジマくんのジュンのことを思い出す。
(16巻の評は、楽園くん未完のため、またいずれ)


それから、この本の中で私のことを社会学者として
とりあげてくださってました。社会学者…


そういえば、社会学会のシンポで研究方法談義になったら
と秘かに考えていたことがありました。
なんで私はアームチェアなのか、みたいな話です。
理由はごく単純で
1.人間には興味があるが、人づきあいがわるい。
  好奇心は旺盛だが、活動的ではない、出不精。
  といった私の性癖の問題。改善するには年とり過ぎ。
2.双子の育児。
  お父さん夜出歩いたら、誰がお風呂入れるの問題。
の二点なのですが、やや積極的な理由としては


いや〜、社会学ってずっと興味なくて。
20代の終わりにポールウィリスとか佐藤郁哉とか書店で見かけて
初めてちょっと萌えかな、みたいな。
(ウィリスが社会学者かどうかは???ですが、
たしか中公の『社会学の名著』には入ってたはず)
で、大学院に迷い込んだら、ゴフマン・ショックなんですが
私の場合、シェットランド諸島や精神病院より
『フレーム・アナリシス』だったんですよ。
かっこーいいなぁ、こんなんやりたいなぁ、
これが社会学だとしたら、社会学っていいよなぁ、みたいな。
『フレーム・アナリシス』には過去のフィールド調査のデータも
盛られてはいるけれど、基本的には新聞・雑誌記事が材料。
あと、テレビ・ラジオ・映画が好きな人だったので、そのへん。
アームチェアというよりは、カウチだな、これは。
で、糊と鋏で大著を作り上げたわけですけど
その鋏さばきや糊の加減が、こちらのまさにツボ。
引用冗長、有能な編集者がついてたら3分の一の分量で済んだ等々
出版当時は散々酷評もされたようですけど、グルーヴィな引用芸とか、
トランシーな論理展開ってあるもんんだなぁ、と心底思いました。
ディティールにこそ神やらゴフマンの真価が宿ってるわけで。
でも、ゴフマンって社会学者なんでしょうか?
社会学会長みたいなのやったからそうなんでしょうけど
日本での受容は、社会人類学者とか社会心理学者として
といった側面も多々あったのでは……。
でも、まあいいや。私も社会学部に籍置いていて
学位も社会学である以上、社会学者呼ばわりから逃げられないわけですが
ゴフマンと一緒(はぁと)、ならそれもいいかなぁ……


というわけで、ご指摘の通り、私は社会学者です。


神保町三省堂で『西原理恵子の太腕繁盛記』をゲット!
ネットで注文出しても品切れといわれるので、
本のメッカに殴りこんだわけですが、やはりあるところにはあるもんで。
ただし、2Fマンガ売り場にはなく、
1Fのタレント本や金融本コーナーに平積みされてるのはどうなんだろう。
内容的にはFXで大損こきました話と、鳥頭紀行。


研究会の方は、ギャルでもリーマン・ショックでも
もちろんトイレの志麻子さんでもなく
70年代のBCLブームについて。懐〜