60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

そもそも大学とは論



今朝は午前中聖和キャンパスへ。教育学部だけあって、
キャンパスに子どもの家(?)やら百葉箱(?)やら。
軽い打ち合わせののち、研究室に戻り、また夕方、会議、会議。
修士論文2本を無事ピックアップする。


この数日間、読んだ本をここにのせる暇もなかった。
飯島裕子/ビッグイシュー基金『ルポ若者ホームレス』ちくま新書、2011
三浦展下流社会第三章』光文社新書、2011
竹信三恵子『ルポ雇用劣化不況』岩波新書、2009
秋元康『さらば、メルセデス』ポプラ文庫、2010
POKKA吉田『パチンコがなくなる日』主婦の友新書、2011
三浦展『格差が遺伝する!』宝島新書、2007
門倉貴史『日本人が知らない「怖いビジネス」』角川oneテーマ新書、2012


それから以下は、この春からの3年ゼミ生に向けて出したメール。
以後3月末まで20回以上、メールを流すと思うが、第1回目だけ、ここに貼っておこう。


成人式の人おめでとうございます。
早いもので1月も半ば、定期試験シーズンですが、春からのゼミの運営などに関して、
こちらから3月いっぱいまで、パラパラと独り言のようにメールしていきたいと思います。
で、初回は、そもそも大学とは、ゼミとは何か、といったあたりから。
まぁ、その人にとって大学のもつ意味、ゼミのもつ意味はさまざまでしょうけど、
とりあえずこちらはこう思っているという話をします(年取ると話し長くなります)。
春からのゼミで何をやるのかの案は、また後日メールしますが、
2回目あたりに少し時間をとってこちらから自己紹介をしたいと思っています。
どういう人間だかわかっといてもらった方が、私がなぜ大学やゼミについて、
そうした考え方をするのか、理解してもらいやすくなるかと思うので。というか、
「あなたのゼミの先生は何をやっている人なの」ともし尋ねられたとして、
「さぁ…」ではちょっとさびしいし、具合悪いと思うので。
試験前のくそ忙しい時に…、という人は読み飛ばして、また時間のある時にということでいいです
(別に急いで読む必要はありません。それよりも確実に進級を!)。


私は、1961年、ごく平凡なサラリーマン家庭の長男(姉1名)として生まれます。
大阪市内で生まれたのですが、早々に堺市郊外に引っ越し、南海高野線沿線(最寄駅は初芝)の住宅地で育ちました。
別に変哲もないライフコースだったのですが、小学校6年生の時に父親が急死します。
父の死は悲しかったのですが、それ以上に、俺いったい将来どうなるんだろう…、
と考えこみました(嫌な子供だったかもしれない)。でも、母親がしっかりした人だったので、
すぐに働きに出てくれて、公立の高校から国公立の大学へ行くのなら、大学出るまでの面倒くらいは見てあげる、
と姉と私は言われました(当時、国公立大の学費は、ビックリするほど安かった)。
その時子供なりに真剣に考えたのですが、自分のようにスポーツ・芸術に特に才能あるわけでもなく、
とりたてて容姿にも恵まれず、社交的とはとても言えず、同級生と遊ぶよりも、少女マンガ(姉の影響下)や本を読むか、
落語聞くかが好きな変な人間は、大学ぐらい出ておかないと職に就けないのではないか、という結論に達します。
そのまま地元の中高と進むうちに、やはり組織に順応したり、
人と協調していけるとはとても思えない自身の性格がより鮮明になってきました。
ただ、私の出身高校の気楽そうな先生たちを眺めているうちに、高校教師、
特に司書教諭(高校の図書館の先生)というのならやれそうな気もしてきました。
やはり、そのためには大学まで進まないと。家計のことを考えると、現役で国公立大というのはマストでした。
文系科目の方が得意なことがわかりはじめ、かつやはりとても企業や役所づとめができるとは思えないので、
法・経・商はナシ、真面目に先生になりたいわけでもないので教育もナシ、消去法的に文学部に行くことになりました。
最も好きな科目が日本史だったので、なんとなく日本史を専攻して、社会科教員と図書館司書の資格を取りに行きました。


なんでこんなことをグダグダ書いてるかというと、私にとって大学とは、まず「生計を立てていくための経路」だったわけです。
で、紆余曲折あって(中略)、現在は大学教員ですので、いよいよ大学は生活の糧を得るところとなってきました。
要するに、私にとって大学とは「自力で食べていけるようになるためのツール」なわけです。


結局、卒業時、司書教諭にはなれなかったわけですが、大卒が条件の企業に入ったのだから、まぁよかったんでしょう。
非常に夢のない話をしていますが、小学校6年の夏、
「こんな人間でもなんとか仕事して、食べていけるようになりたい」と考えたことが、自分のすべての出発点だったと思います。
なので、大学の3〜4年生を過ごすゼミというのも、そこを出て
「なんとか職(できれば正規雇用)に就いて、食べていけるようになるプロセスに、少しでも寄与できる場であればいいなぁ」
と思っています。まぁ、人生人それぞれなので、皆が皆、そうしたコースを歩む必要もないと思うのですが、
私にはそれ以外の生き方があまりリアルに想像できません
(父方の祖父は造船所の技師、母方の祖父は紡績会社勤務、親戚中見渡しても会社員か教師か専業主婦かという家系)。


では、卒業時に職に就くことに寄与するゼミのあり方とは…、
という話になるのですが、私自身大学時代「ゼミ」というものを経験していません。
大学時代は歴史学関係の自主ゼミや研究会に出入りしたことはありますが、それは正規の授業ではありませんでした。
同学年で同じ日本史専攻に進んだのは、たしか6〜7名。
その同級生たちとも、あまり接触はなかったです(近世史専攻は私だけだった…)。
大学時代、先生たちとはほとんど接触はなく、4年生の時、春秋一回ずつ卒論の途中経過を報告するぐらいで、
基本的には研究室の助手・院生・OD(オーヴァードクター)たちがいろいろ相手してくれました(正直、ややウザいくらいに)。
国立大の文学部なので、そこの先生たちにとってみれば、大学院に残って研究者になろうとする学生だけが相手すべき対象であって、
まぁ高校の先生になるのなら許すが、一般企業に進むなんて学問に対する冒涜だ、堕落だくらいに思われてました
(なので、企業に内定した途端、研究室では誰も相手にしてくれなくなりました)。
その後、会社を休んで大学院生をやっていた時のゼミも、7〜8人で英書を講読したり、
修士論文の途中経過を報告したり(で、ボロクソ言われたり)といった感じでした。
大学に転職して初めて、私立大文系学部のゼミというものに接したわけですが…(以下次回)