60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

福澤諭吉の生まれた辺り



 先週、ゼミの3年生を連れて、大阪市内の放送局におじゃました。
 メディアの現場を見たいと学生側から提案があり、一応メディア系のゼミなので、そんな回があってもいいかと企画させてみた。私立大学文系ゼミにありがちなことなのだが(しかも私の勤める学部ではゼミへの所属とそこでの卒論執筆は必修)、どうしても1学年20名を超えてしまう。その全員に一度におしかけられては、あまりにもご負担だろうからと、二班に分け、在阪の二つの局にお願いしてみたところ、ありがたいことに引き受けていただけた。
 というわけで、まずはテレビ・ラジオ兼営の局から。同窓の方が案内役についてくださり、迷宮のような局内をかなり広範囲にガイドいただく。今回の班にはアメリカンフットボールのディフェンスライン(一列目)とラインバック(二列目)の選手がおり、ずいぶんとかさばり、ご迷惑だったろうと思う。
 しかし、これってダンジョン?と思わず呟きそうになる社屋の中を、手際よく引率され、多くの方のお話をうかがう機会や、会議室での質疑応答の時間をもうけていただけた。大学の放送局所属の学生が、番組制作のプロセスについて立ち入った質問をしたり、韓国からの留学生が、なぜ日本のテレビは番組の途中であんなに頻繁にCMが入るんですかと、突然、巨大な問を発してみたり。
 また、学生への逆質問の中では、今どきの若者はラジオの受信機自体を見たり、さわったりした経験がないこと、新聞の番組欄よりも、はるかに画面上の番組表をたよりに視聴していることなどが明らかとなっていた。局側としては新聞番組欄の狭いスペースに、どのような言葉を入れようかと、日々苦吟してるんだけどねぇと、やや悄然としておられた姿が印象的だった。
 その他、個人的に面白かったのは、放送局という空間には、ガタイのいい男子大学生をみかけると、いきなり肩などもみながら、スポーツ何やってるの、ラグビーアメリカン?ポジションは?と気さくに話しかける人が、やたらと多い点。スポーツ局のフロアだけではなく、いろんなところで声がかかっていた。当初は別々の班であったアメフトの2名を、遠征の日程の都合で、今回まとめて連れてきてみたからこそ判明したテレビマンの習性(?)なのかも。
 4年のゼミにはディフェンスバック(最後列)もおり、先日の東京での試合では、ディフェンスのスタメンに現役ゼミ生が、前・中・後と3名並んでいて、なかなかいい眺めだった(試合、観に行ってないけど)。次はメキシコへの遠征だとか。東京からメキシコって、オリンピックみたいだと口を滑らしたら、「え、東京の次って、もう決まってるんですか」と聞き返されてしまったが。
 あぁどうせ君たちとはジェネレーション・ギャップですよと開き直り、さらに歴史を遡って言うならば、今回うかがった局は、堂島川沿いの、かつて豊前中津藩の蔵屋敷のあった場所に建っている。福澤諭吉もここで生まれたのだとか。来週はもう一つの班と、この川の上流、青物市場があった付近のテレビ局におじゃまする(やはり大阪は水運の街だ)。
 一万円札のことを、いまだに「聖徳太子」と言ってしまう教員が、当然福澤諭吉でしょうという学生たちを連れ歩くのは、なかなかたいへんだったりするのだが。



今日はチャペルでの講話、講演会、原稿準備、原稿書き…。
まぁ全部はできないだろうけど。あと、面談2件など。