60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

「広告」に明日はあるのか、ないのか、どうなのか。(10)広告に未来があるかはわからないが、過去があることはたしか。

 日本の民間テレビ放送にも、すでに70年の歴史があるわけで、CMにおいても過去のものを引用したり、リメイクしたり、タイムトラベルしてみたりが、ここのところ増えているように思います。たとえば、マクドナルド50周年やベビースターのCMなど。

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 長く続いたブランドのビンテージ感、オーセンティックな感じを演出するには、有効な手法なのでしょう。今回はノスタルジーついでに、私と広告のごく私的な回顧・懐古を綴ります(興味もてない向きも多いと思いますが、まぁ……)。

 私が最初に広告業界を意識したのは、小学生の頃、父親の本棚を漁っていてでした。きっかけは、どちらを先に読んだかよく覚えていないのですが、ジャック・フィニイ『レベル3』(早川書房、1961年)と山口瞳の「江分利満氏」ものでした。

 父は平均的なサラリーマンだったので、書棚には松本清張司馬遼太郎山本周五郎などが並んでいて、山口瞳はまだしもわかるのですが、なぜか海外小説の翻訳本である『レベル3』も挟まっていました。

 その表題作「レベル3」は、過去へとタイムスリップした男をめぐるファンタジー小説です。けっこう繰り返し読んだため、ジャック・フィニイの名を覚えました。そして、本の末尾の訳者による著者紹介で、フィニイが小説家としてデビューするまでコピーライターをしていたことは記憶に残りました。

 最近見返してみると、後書きにはフィニイは「ニューヨークの、ダンサー・フィッツジェラルド・サムプルという広告エージェントに十二年間もコピイ・ライターとしてつとめていた」と記されてました。子どもなりに、なんとなくそうした職業があることを知ったのでしょう。なので、江分利満氏の東西電機宣伝部勤務という設定も、けっこう理解できていたのだと思います。

 山口瞳の文庫本は数冊あったと記憶していますが、フィニイのものは『レベル3』一冊だけでした。なので、その後しばらくフィニイを意識することもありませんでした。

 ところが、高校生になった頃、内田善美というマンガ家にはまります。内田が大のフィニイ・ファンであったため、自分でもフィニイの本を探すようになります。そのため今でも手元にジャック・フィニイ『ふりだしに戻る』(角川書店、1973年)や『ゲイルズバーグの春を愛す』(ハヤカワ文庫、1980年)などがあります。また内田善美のマンガ『空の色ににている』(集英社、1981年)の影響で、シェル・シルヴァシュタイン『ぼくを探しに』(講談社、1979年)という絵本を知ります。けっこう有名な本なのでご存じの方も多いでしょうが、パックマンのような「ぼく」が、missing piece(パックマンの口の部分にあたる欠片)を探しに旅をするという寓話です。

 そして私は、大学4年になると、唐突に広告会社の採用試験をうけます。当時からエントリーシートみたいなものはあり、A4一枚に自己紹介を書かねばなりません。そこで「ぼくを探しに」をネタに、自分は足りない何かを求め続ける人間だ、みたいなことを書きました(採用試験の書類に、パックマンみたいな絵をたくさん描きこんだため、ある段階の面接では、「ふざけているのか」と軽く圧迫されました。冷静に考えてみれば、私は完成度が低いとしか言ってないですね)。

 面接の場で志望理由を聞かれた際には、「ジャック・フィニイ山口瞳(≒江分利満氏)が働いていた業界なので」という、今から思えばトンデモ動機を答えてました。でも、当時40~50代の面接官にとっては、フィニイも山口瞳もツボだったらしく、やたらとウケがよかったです。察するに、当時活躍中の広告クリエイター「〇〇さんにあこがれて」みたいな志望理由に、面接官たちは食傷気味というか、もっと言うと辟易としていたようです。

 まぁ、そうして入った広告会社を、私も12年で辞めました。

 ちなみにフィニイが勤めていたダンサー・フィッツジェラルド・サムプルは、けっこうなヒット作を飛ばしつつも、1980年代にはロンドンに本拠を置くサーチ&サーチに吸収されていきます。

 ミステリーや本格SFも多いフィニイですが、やはり過去へのノスタルジーを込めた、タイムトラベル・ファンタジーにその真骨頂がありました。というわけで、話をふりだしに戻すと、1980年代くらいから過去のテレビCMもノスタルジーの対象になり続けてきましたし、今世紀に入ると昭和30年代ノスタルジー、最近では昭和どころか平成レトロという言葉すら聞かれます。

 そんなこんなで、ネット上には「懐かCM」等と題して、過去の作品がよくあがっています。YouTubeなどでそれらをみようとすると、最初にCMを広告としてみた上で(ないしスキップした上で)、コンテンツとしてCMをみるというややこしい構造になります。YouTubeのいくつかのチャンネルは、けっこう本格的なCM(ないしCMソング)のアーカイブになっていて、感心してしまったりもします。

 もちろん、過去のCMが今みられても、その企業や商品にとってメリットはない、という見方もあるでしょうが、やはり冒頭に述べたように、そのブランドが現存しているならば、オーセンティシティのアピールにはつながると思います。

 なので、民放当初からCMを出し続けてきた企業の中には、ホームページでCMアーカイブを公開し、老舗感の演出、定番のロングセラーブランドであることの訴求を行っています。一種のファンダム・マーケティングということかもしれません。

www.momoya.co.jp

kizakura.co.jp

 これらサイトは、個々のCMでというよりは、そのCMの集積によって、企業やブランドの価値を広告しているように思います。