60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

「広告」に明日はあるのか、ないのか、どうなのか。(11)かつて「文化も売ります」と揶揄された西武池袋店が売られていくに際して。

 1982年4月19日付『朝日新聞』の記事「文化も売ります百貨店 講座やら美術館やら」では、西武百貨店池袋コミュニティ・カレッジや同じく池袋店の西武美術館などが紹介されています。そして、当時の西武百貨店社長・坂倉芳明は、「『文化』が事業として成り立つ基盤がみえてきた」と語っています。余計なことですが、同記事には三越百貨店社長の岡田茂も登場。岡田はその2年後、取締役会で「なぜだ!」と叫びつつ社長を解任され、さらに三越社長の座に坂倉が就いたり……の波乱万丈がありました。ちなみに坂倉は、三越において岡田との社長争いに敗れたところを、西武流通(セゾン)グループ総帥の堤清二に乞われて西武百貨店入りしましたが、最後には堤と袂を分かって三越に出戻る、というこれまた波乱万丈の歴史がありました。

 まぁ、要するに西武池袋店は、創業者一族で文人実業家の堤清二の強烈な個性に導かれ(独裁とも言う)、日本橋や銀座の老舗百貨店に対し、1970年代に家庭を持ち始めた団塊の世代(ニューファミリー)をターゲットに、新たなライフスタイルを提案する百貨店として独自な路線をとったというわけです。とりわけ西武百貨店のイメージをけん引したのは、画期的な広告表現でした(もちろん、その先駆・前提としては、1970年代に展開された、かつて西武セゾングループの一員であったファッションビル「パルコ」(池袋・渋谷)の斬新な広告表現や文化活動があったわけですが、とりあえず今回は話を西武百貨店に絞ります)。

 1980年代には広告上手の3S(サントリー資生堂西武百貨店)という言い方も存在したほどでした。

Woody Allen Japanese Commercials for Seibu - 西武のためのウディ·アレン、日本コマーシャル - YouTube

 その後、生活総合産業をめざし、西武セゾングループは流通(西友ファミリーマート)のみならず外食、金融、レジャー施設や不動産事業へとウィングを広げていきます。たとえば関西圏でも高槻・八尾・尼崎(つかしん)・大津と西武百貨店の開店が相次ぎ、グループ会社の西洋環境開発は神戸六甲アイランドでは遊園地を、京都桂坂では宅地開発を展開していきます。

 まぁ、1984~96年の間、東京にいた私にとってはピンとこないところもありますが、1990~96年豊島区巣鴨に住んでいた頃は、日曜昼は西武池袋店地下で新宿中村屋のカレーを食べて、リブロ(書店)をひやかし、西武美術館前の喫茶スペースの窓側の席で、都道305号(明治通り?)を見下ろしながら仕事したり、本読んだりしていました。リブロの独特の品ぞろえなど、まさしく「文化も売ります百貨店」だったと思います。

 1988年には以下のような広告を出し、先進的なイメージを保ち続けたセゾングループでしたが、バブル崩壊と前後して、セゾンの壮図も水泡と帰していきます。総帥堤清二は、1996年には『消費社会批判』(岩波書店)という本も出しています。かつては文化消費というか、消費文化というか、そうした匂いをプンプン漂わせていた西武セゾンでしたが、今世紀に入ると見る影もなくなっていきます。

 そしてついに、自らの職場や仕事を守るために、今年8月「そごう・西武労組 ストライキ実施決定 31日に西武池袋本店で」という事態に至ります。サラリーマンどころか百貨店社員としての仕事も維持できるかどうか不透明。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230830/k10014178331000.html)。

 しかし、1980年代の栄耀栄華をしのぶ人が多いということなのか、ないしいまだ池袋の顔として文化拠点の役割を担っているということなのか、地元はヨドバシカメラの進出へは忌避感があるよう(https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230720-OYT1T50244/)。若い世代にはピンとこない話でしょうが。

 最後にまた関連する引用を。

 

三浦展上野千鶴子『消費社会から格差社会へ:中流団塊下流ジュニアの未来』河出書房新社、2007、48-9p

「上野 80年代の消費社会をふり返ると、消費の担い手は「仕事と結婚だけじゃイヤ」という「Hanako世代」でした。「パルコ」を支えたのもズバリ「Hanako世代」ですね。「Hanako世代」が登場したことについては、忸怩たる思いを持っています。たしかに女は経済力を持って強い消費者になった。女が誰の許しを得なくても自分のために自由に使えるおカネを持てるようになったのは、ものすごく大きな変化でした。私は『「私」探しゲーム』(筑摩書房・1989年)という本を書きましたが、日本の女の「私探し」こと「自己実現」は、生産の方向にではなく、消費の方向に向かいましたね。当時は消費という回路をたどることによってしか、女の自己実現はできなかった。(略)私は80年代の後半に、ヨーロッパで日本女性の状況についてスピーチしたときの反応を覚えています。女性の自己実現には“self-realization through consumption”(消費を通じての自己実現)と“self-realization through production”(生産参加を通じての自己実現)という二つの自己実現のルートがあるが、日本の女は消費を通じての自己実現の方を選んだと説明しました。が、ヨーロッパの聴衆にはどうしても理解してもらえなかった」

 

大塚英志『感情化する社会』太田出版、2016、55-6p

「ぼくが、自分のかつての仕事に最も限界を感じるのは、このように「消費」や「経済」を批評に持ち込みながら「労働」の問題を立論しなかった点にある。…80年代において吉本隆明埴谷雄高(はにやゆたか)のコムデギャルソン論争が示すように、批評が前提とする人間像が「労働者」から「消費者」へと移行したことに従順であったにすぎない。そのことを吉本はある種の屈託として「転向」と自称した。同時に「消費」という概念は、上野千鶴子が「垂直の革命」から「水平の革命」へと当時形容したように、記号の操作(吉本ふうに言えば日本の「女性労働者」がコムデギャルソンを着ること)で「階級」や「文化ヒエラルキー」が解体する、という「期待」をもって少なからず語られた。そういった80年代の記号論イデオロギーを近ごろの僕は「見えない文化大革命」と呼ぶ。この「記号操作の革命」論に「物語消費論」なり「少女民俗学」は一定の整合性があり、当時もてはやされもした。このように「労働」という視点の欠如は「かつて」のぼくの批評の根本的な限界でもある」

 

 Hanakoは、20代女性にむかって消費生活を謳歌するよう呼びかけた(バブル期ゆえに実際に反響も大きかった)、1988年創刊のマガジンハウスの雑誌です。コムデギャルソン論争は、高価なブランドものの服に身を包み女性誌に登場した批評家に対して、作家が異議を申し立てた――資本主義のぼったくり商品をありがたがって着ている!――という件です。

 ともかく、消費社会論が論壇をにぎわし(格差社会論はその影もなく)、労働や生産よりも遊びや消費がクローズアップされた1980年代と、西武百貨店はもっとも共振し、最高に目立つ広告展開をしていたのだよ、というお話でした。

 その後今世紀に入り、消費社会批判は、バンクシー的な反消費主義へ、anti-globalismへと展開していきます。

 

余談;今世紀に入り西武と組み、同様に消えていく「そごう」について。絢爛豪華な会長室があったと噂の奈良そごう(1989年開店)になじみがあるのですが、その閉店に至る過程や、さらには後に入ったイトーヨーカドー奈良店も撤退するなど、敷地がその屋敷跡であったため「長屋王の呪い」説も囁かれていました。その後、ようやくオープンしたショッピングモール「ミ・ナーラ」も、2018年のMINARA IDOL FESTIVALが「伝説のクソイベ」と称されるなど、呪いは続いているようです。