60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

【61年生2】あさま山荘の陰で

唐突にブログを始めた第二に引き金は、
北田暁大・野上元・水溜真由美編『カルチュラル・ポリティクス1960/70』せりか書房
を目にしたことでした。70年代以降生まれの60年代論・70年代論…
こちらは、1971年生まれの秀俊たちから、ヨワイさらにプラス10ですもんねぇ。
(ちなみに61年生まれは、桜玉吉中井貴一いとうせいこう(敬称略)etc.)


一読して、たいへん面白かったし、とくに違和感はなかったのですが、
野上元氏の「あさま山荘事件と「戦争」の変容」に触発されて思ったことを、今日は一つ。
テーマは、「なぜ戦後60年回顧番組は鉄球ばかりを映すのか」というか
「連続ビル爆破関連映像はなぜ不在なのか」ということです。


あさま山荘事件…。そりゃ、大きな出来事でした。たしかに、鉄球は絵になります。
視聴率x%ということで、メディア史的、メディア論的には、重要な考察の対象でしょう。
それに続く「連合赤軍リンチ殺人事件」が、学生運動にとどめをさしたのも、そうでしょう。
「光る雨」などの小説化や映画化、おりにふれ話題に上る永田洋子
佐々某氏の回顧談、カップヌードル成功の秘密、プロジェクト・エェックスゥゥゥ


しかし、個人史的なことを言うと、
ニュース報道に関する記憶の始まりは、金嬉老寸又峡たてこもりで
三億円をめぐる熱狂や、三島由紀夫に関する?や、永山則夫の恐怖…
永山則夫は未成年だったと思うけど、実名報道されてたように記憶してます)
たしかに鉄球は見たけど、それ以上に衝撃を受けたのは、三菱重工ビル爆破事件でした。
中学の時の美術の授業で、紙芝居を作れという課題があり、
連続ビル爆破が起こり、犯人は実はガラス屋さんだった(受注がほしくて)、
実は新聞記者だった(ニュースのネタがほしくて)
実は警察関係者だった(自らの存在理由を求めて)…
みたいな不謹慎なものを作ったことがあります(どう考えても、筒井康隆の読みすぎです)。
ニュース中継をもっとも一生懸命みたといえば、「なだしお」の引き上げかなぁ…とか
衝撃という意味では、豊田商事の社長やらオウムの村井某が刺された件かなぁ…とか
(あぁ、このへんは時代が違いすぎるか)


ともかく、なぜか特権的に繰り返し記銘されがちな「あさま山荘」の一方で、
みなの記憶から排除されていく、三菱重工ビル…。


三菱重工ビルには、文部科学省の一部が入っているようで、最近とある会議で
「nanba君、○○××の件で、一度お伺い立てに行ってくれないかね」
「えぇ、(誰が代わりに子どもを風呂に入れるというのだ!
これは行きたくないという意図を伝えねば!)
…私、襷や鉢巻に、「大地の牙」とか「狼」とか「サソリ」とか書いていこうかなぁ」
「(その場の一同)はぁ?」
という出来事がありました。みな60年代以前の生まれのはずなのに…
シャレ通じねェ(赤面)


まぁ、私の場合、昔丸の内で働いていたことがあったり
桐山襲を読んだ勢いで、80年代後半に書泉グランデのそれ系の棚を漁ったり
みたいな経験があるので、通常の人よりも
はるかに東アジア反日武装戦線関連記憶が強化されているきらいはあります。


でも、回顧番組がこの件を取り上げず、人々の記憶から意図的に消去しようとしているのは
件の人たちがお召し列車の爆破までを試みていたからなのでは、と私は邪推します。
(レッツ、陰謀史観!)