そういえば、4月1日付で変わったことが、もう一つありました。
実家の住所が、堺市東区…になったことです。
堺市…。
1960年代からほとんど人口変わってないけど、周辺の町くっつけて
強引に政令指定都市になったみたいです。
重化学工業中心の臨海コンビナート都市なもんで
70年代以降、どうにもぱっとしません。
地元企業といえば、自転車のシマノ、潰れた福助、あたり前田のクラッカー…
新興企業といえば、回転寿司の蔵とか、ホームセンターのコーナンあたりです。
どうにもこうにも。
小学校の学区内には、新日鉄堺の社宅があり、
旧八幡製鉄からの名残で、皆九州出身者が住んでました。
(後に新日鉄化学時代の野茂投手も、独身寮にいたとか)
小学校では、団地の子たちの九州弁と、旧農村部の子たちが話す河内弁と、
新興住宅地の子たちの話す、ややマイルドな関西弁(時に標準語)が混在してました。
旧農村部の子たちは、出屋敷などいかにもそれっぽい地区名や
田植えの手伝いを恥じてる様子でしたが、実はいちばんお金持ちのお子たちです。
社宅の子たちは、団地住まいを恥じてる様子がありましたが、実は水洗便所。
広いグランドも持っていたりと、なかなか福利厚生はしっかりしてました。
兼業農家・社宅・住宅地…
「三すくみ」状態だったかもしれません。
昔から政令指定都市になりたがってたようで
高校の頃、「百舌区(もずく)」とかできるんちゃうんけ、うひゃひゃひゃ
と下らないこと言ってた記憶があります。
「百舌」と呼ばれる地域が結構広かったもんで。古墳がたくさんある辺り。
子どもの頃は、伝仁徳天皇陵周辺にやたらホテルが多いのを見て
やっぱ観光地なのかなぁ、と思ってましたが、長じて知ったのは
要はラブホテル街だということ。誰も前方後円墳見にきませんって。