60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

訃報、NHK、大地の勃起


ロニー・ジェイムズ・ディオ、もう67歳だったんだなぁ。


ブレービーの島野修さん、59歳は早すぎる。


月曜日は、ちょっとだけテレビ撮影に協力。
真昼間にテレビカメラがキャンパスに入り、タレント練り歩くので
本務校の学生たちの反応がどうかなぁ〜
と思っていたが、まぁ大人の対応だったよう。


急に思い立ち、中山岩太展を見に神戸へ。
芦屋でも芦屋カメラクラブ展をやっていたようなので
ハシゴ…、とも考えたけれども、萎える。
結婚写真がハナヤ勘兵衛なのが、プチ自慢。


明日は、公共放送のキャンパスミーティング。公聴会っぽいやつ。
経営委員や理事が来校といっても、倉田真由美さんではないらしい。
西原理恵子経営委員というのもみてみたい気がするけど
脱税マンガ書いちゃったら、なかなか公職の話は来ないんだろう
(倉田さんは申告漏れだから、セーフってことなんだろうか)。


NHKに何かもの申す役として、ゼミ生の3年たちを動員。
こちらも、学生たちに大人の対応を期待したいところ。


テレビといえば、BPOのバラエティ番組に関する意見書を受けてつくられた
すべての悪の根源は欽ちゃんである!?、みたいな検証番組をみる。
噂にはきいていたが、関西では初のオンエア。太田さん、元気そう。
番組自体は、大将こと欽ちゃんへのよいしょ番組のような気もしなくもない。
もちろん私にも、コント55号には子ども心をわしづかみされた、遠い記憶がある。
クレイジーには遅すぎで、ドリフには早すぎた世代。
でも、欽ちゃん、好きじゃなかったです。
二郎さんの方が圧倒的におもしろかった。


子どもの頃見たある番組の中で、まず皆がある言葉を口にし、
その後何かの写真を見せ、写真に写ってるものと先ほどとの言葉とを
無理やりに結びつけて、小噺を作れ…、みたいな大喜利をやっていた。
二郎さんが先に発した言葉は「思い出」、提示された写真には長靴。
と、やおら二郎さんは席を立ち、「長靴に泥がついたら重いで〜」
とステージ上を歩き始めた。子どもながら、凄いと思った。
それにひきかえ、欽ちゃんには、この類の瞬発力はなかった。
それから関西の子たちにとっては、
花紀京吉本新喜劇藤山寛美松竹新喜劇とがあった。
70年代、萩本欽一はそれなりの視聴率を獲ったのだろうが
欽ちゃんがすべてだったとは思えない。バンザイ、なしよ。


先週の同期会での思い出話。
新人研究期間中、クリエイティブテストで
「東京タワーという名がなかったとして、東京タワーにネーミングしなさい」
みたいなのがあった。四半世紀以上経っても
「難波はあの時、大地の勃起…」といわれる。
たしかに、絶倫塔とか、雲衝く陰茎とか、たくさん書いた。
でも、あの時褒められたのは、下ネタ群ではなく
「溶けて流れりゃただの鉄」だの
アパッチ族は食いたかろう」だの
「あてかいな、あては名もない鉄塔だす」だの
破調のネーミング群だったように記憶している。


まぁ、非常に不真面目な新入社員だったことはたしか。
縁故ではないので、別に誰に気を使う必要もなく
地方出身者なので、是が非でも東京配属!という気もなく
養わなければならない家族がいるわけでもなく…
人事にとってはいちばん、扱いにくい新入社員だったんだろうなぁ。


そういえば、「正義とは何か、自由に定義しなさい」
というクリエイティブ・テストのお題に対して
「時間通りに出勤簿をしまう人事の○○さん」みたいなことも書いた。


辞める人間は、最初から辞めるべき人間としてあったような気がする。


でも、そんな人間が、最後の1年間、経営企画室員だったというのも謎。