60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

会社員時代のこと

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今日は研究室にて、学会のシンポジウム(Zoom開催)に耳を傾けつつ、途中から、目ではインターネット中継にて楕円球を追う。
(シンポジウムに尽力された方々には、たいへん失礼極まりない話だが)

 

あと、瀬川昌久蓮實重彦アメリカから遠く離れて』河出書房新社、2020、読了。

 

80代と90代とが、戦前から戦後にかけての映画・ジャズに関するクロストーク、すげぇと楽しんでいたが
あとがき(瀬川)に「蓮實重彦氏との個人的な交流の縁は、いまは亡き蓮實氏の愛息重臣さんとの会合から始まった」とあり、驚く。
楽家・蓮實重臣氏、90年代頭あたりだったか、ちょっとだけ同僚だったことがあった(こちらが6、7年ほど入社年次は上)。
さすが背が高けぇ~、くらいの印象しか残ってないが、すでにお亡くなりになっていたとは。
そういえば瀬川氏も30年ほど銀行勤務(富士銀行、今のみずほ?)だったはず。

 

今日のシンポジウム「文化社会学の快楽と困難ーー文化社会学会は可能かを問う」を聴いていて
文化社会学はどうも残余範疇的な扱いを受けることが多い(まぁちょっと曖昧模糊とした領域であることはたしかだが)、
ベーシックな教科書やリーディングスがない、論文を投稿する場がない、まだまだ傍流視されがち、研究テーマは「趣味?」とみなされがち、専任のポストが得づらい、…といった話はよくわかった。
(もともとのタイトルは「文化社会学はつらいよ」だったそう)
力のこもった発表がつづき、議論そのものはたいへん刺激的だった。

 

しかし、どこかで完全にノリきれない気もしていた(試合が白熱してたこともあったのだろうが)。
自分の場合は、大学出たらなんとか自分で生計を立てたい、というのがまずあって
でもどうせやるならより楽しめる要素の多い仕事の方がいいなと思い、会社員から教員
に転職し
怒られないよう教務・校務をこなしつつ、求めや必要にしたがって書いたり・話したりを生業としてきた。
ことほどさように、研究者やアカデミシャンというアイデンティティが、どうにも希薄な人間なもので、
別に自分のやってることが、文化社会学や文化研究か否かなんてどうでもよくて(そもそも「文化社会学とは何か」「文化研究とは何か」問題に興味なく)、
さらに言えば、それが学問・研究かどうかもどうでもよくて、ただただ自分が面白いと思ったことを書き、話し
それを誰かが面白いと思ってくれたらいいよなぁ(そうした人が一定数いてくれないと、職場で肩身狭いし、へたすりゃ食いっぱぐれるし…)
教育・研究に限らず、何かを求められたら極力それに応えたいとも思うし…

 

というわけで、学会(学者集団)には昔からなんとなく距離を感じてきた。
でも、考えてみたら、おおむねほとんどのものから距離をとってきたような気もする。
根っからの根無し草(デラシネ)、という語義矛盾。

 

でも、とりあえず、勝利おめでとー。