60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

波川駅の桜


本日は春休み中最後の平日。
ガシガシと懸案事項を片づけたいところ。
キャンパスの桜はやっと五分くらいなので、高知・伊野の宿の
最寄り駅(絵に描いたような無人駅)のホームからみた桜。


といいつつ、瀬川藤子『VIVO!』1巻を読む。
「教師にはさ 大きく分けたら 2種類いると思うんだ
生徒の事を中心に考えてる人
学校そのものを中心に考えてる人
自分中心てのは教師としてカウントしない
どっちも必要な考えだと思うんだよ
個人個人と向かい合おうとする人も
学校っていう全体の質を守ろうとする人もいないと 成り立たなくて
でも時にはその両方が生徒を行き詰らせる事もあってさ
とはいえ生徒あっての学校だから…
ナカムラみたいに「生徒」にも「学校」にも興味のない人間がいたら
そういう子の上手い逃道になってくれるんじゃないかなぁって……」


あの〜、自分が大学生だった頃(高校生だった頃もかなり)
先生たちは皆、学生・生徒も、学校も、どうでもよかったような…
特に大学の先生たちは、自分の研究が中心で。
教師としてカウントされなくてすむなら、ラッキー、みたいな。
(まぁ大学院生に対しては、学問上の師であろうとはしただろうけど)


自分の中にもナカムラ(本名は仲村渠(なかんだかり)豊寛、
自分の姓や出自(100%沖縄県がルーツ)にも興味がなく、
めんどくさいからナカムラで通している)的なところはあるが
今日は夕刻から全学の会議。


大学の本部棟にいると
「学校そのものを中心に考えてる人」になりがち。
それもなんだかなぁ。


まぁ、ナカムラみたいな存在も生息できる場所であってほしいものだ。
キャンパスにはいろんな学生がいて、いろんな教員がいて、
相性よき出会いがあればそれでよし、くらいに考えていたいものだ。