60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

年長者とのつきあい方のtips

 今から40数年前、私がまだ高校生だった頃、NHKのドラマシリーズ「男たちの旅路」の「シルバー・シート」という回を見て、非常に衝撃をうけました。

 この「男たちの旅路」は、警備会社に勤める警備員たちがさまざまな事件・事故と遭遇する中で、社会の矛盾や問題に直面していく、といった内容です。「シルバー・シート」では、空港に配置された若い警備員たちが、毎日やってきて誰彼となく話しかけ、かつて自身がロンドンに派遣された記者だった頃のことを語る老人と知りあいます。そして、その老人が空港で急死したことで、彼が暮らしていた老人ホームの仲間たち4人とも親しくなるのですが、その4人組が都電の車庫に忍び込み、路面電車の車両に立てこもる騒動を引き起こします。4名のうち一人は、かつて都電の運転士でした(放送当時でも、すでに荒川線しか残っていない状態でした)。

 老人たちは問いかけます。死んだ元記者も元運転士も、みながんばって働いていた、世の中を支え、ここまでの復興をなしとげた。しかし、今は無用のものとして疎まれ、打ち捨てられ、顧みられない。人間、かつてやってきたことで評価され、敬意を払われてもいいじゃないか……。

 高校生だった私は、老人たちの気持ちがよくわからず、単におもしろいドラマだと受け取っていたのでしょう。こうした都電ジャック事件が本当にあったわけではないので、どこか寓話として見ていたのだと思います。

 最近、この番組をDVDで見直す機会がありました。感想としては、やはりたいへんよくできている、山田太一(脚本)のすごさを再認識した、といったところです。その点では、昔とさほど変化はありません。しかし、年齢が老人たちの側に近くなったためか、彼らの無念をよりリアルに感じ、実際にこうした事件があってもおかしくなかったのでは、と思うようになりました。最近、同年代の友人たちが、リタイアしたり、定年延長で働いているのをみるにつけ、高齢者のあり方の難しさを、わがこととして受けとめているからでしょう。そして、「シルバー・シート」の頃よりもはるかに高齢者人口の比率が高まり、いっそう世の中の変化が激しくなっている現在、4人組の老人たちが抱いていたような無念のマグマは、さらに社会にたまり続けているように思います。

 といったことを最近考えていたので、「奨学生に参考となるような題材で」とのオーダーをいただき、もろもろ考えた結果、「年長者とのつきあい方のtips」というテーマで書くことにしました。

 大学生の時期は、同年代の気のあう人とだけつきあうことも可能です。バイトならば嫌な上司がいたとしても、辞めるという選択肢は比較的容易です。部活や研究室の縦社会も、昔よりは緩くなっているでしょう。そのため、就職活動を通じて、もしくは実際に世に出てみて本格的に年長者と対峙せざるを得なくなったとき、戸惑ったり、フリーズしてしまうこともあるかもしれません。もちろん若者と年長者とのコミュニケーションギャップには、さまざまな要因やケースが考えられるでしょうが、なにかしらのつきあいづらさ、理解しにくさが生じたとするならば、そこには年長者・高齢者が抱えている無念の感情と、それへの若者側の若さゆえの気づきにくさが、多少なりともあるのでは。tipsとしたのは、秘訣というほど効力はなく、コツというにはおこがましく、助言というのも押しつけがましいしと逡巡した結果です。まぁ気楽に読んでもらって、何がしかの参考になれば幸いです。

 では、まず一つ目。「年長者とつきあう=うっとうしい」というマインドセットを持たないこと。

 無茶なことを言うようですが、「苦手意識を克服するには、苦手意識をもたないようにすべき」です。苦手と思ってしまえば、それは相手にも伝わり、より状況は悪化します。敬意をもちつつ、かつ敬遠しないで接してほしいと年長者は思っています。現在世代間の不平等は多々あり、若い人が高齢者を敵視したくなる気持ちもわかりますが、個々の年長者にそれをぶつけても、何ら事態は好転しません。まず無理にでも笑顔を作って、中高年と接してみましょう(そうした訓練を、学生時代に機会をとらえてしておきましょう)。

 二つ目は、年長者は鬱屈を抱えていて当たり前、と考えること。

 人間年を取れば、社会経験を積み、人格的にも陶冶され、温厚な性格となっていくと考える人も多いでしょう。もちろん、そうしたケースも多々あります。しかし、すべてがそうとは限らず、多かれ少なかれ無念の感情をためこんでいるものです。その屈託を堰き止めているダムは、意外と脆く、簡単に決壊します(いわゆる「地雷を踏む」というやつです)。一時期「キレる老人」という言葉も取りざたされました。いきなり都電をジャックするといった不可解な行動も、蓄積された自尊心の傷つきの末と考えれば、少しは理解可能かもしれません。

 目の前に急に怒りだす年長者がいたら、最初は驚いて固まってしまうでしょうが、徐々に冷静な対処方法を身につけましょう。過度にへりくだる必要もなく、かといって喧嘩なら買うぞという臨戦態勢をとるのもよろしくありません。「言って気が済む」場合も多いので、聞き流すこと(いわゆるスルースキル)も大事です。

 三つ目は、あまりの理不尽には「それ、ハラスメントですよ」と言うこと。

 一、二の対応策をとっていると、さらにエスカレートしてくるタイプも存在します。「勉強になります」「参考にします」と対処していると、さらに年下にアドバイスや知識の押し売りをしてきたりします。ときどき本当に参考になったりするだけに、よけいに対応が難しい。でも、耐えられないレベルに達したら、自身の心身の健康を守るために、ハラスメントにあたると指摘し、この場だけでおさめる気はないことを伝えましょう。年下に強く出るタイプの人は、意外と根は小心なケースが多く、トラブルを周囲に知られることを嫌います。

 こんなことばかり書いていると、世の中怖い、社会に出たくない、という人を増やしてしまうかもしれません。さらに、これを書いている私自身が、おためごかしに要らぬアドバイスをしてくる嫌な年長者なのでは、という気もしてきました。ですが、世間にはいろんな人がいる、という想定はしておいて損はないと思います。耐性や免疫をつけておいてほしくての老爺心だと理解してください。

 最近、博報堂生活総合研究所『消齢化社会:年齢による違いが消えていく! 生き方、社会、ビジネスの未来予測』(インターナショナル新書、2023年)という本が出ました。たしかに、消費のあり方やコンテンツの嗜好に関しては、年齢による差は減ってきたのかもしれません。若い頃の趣味を捨てない年配者と、巨大なアーカイブと化したインターネットの中から、過去の流行を掘り起こし、リバイバル消費していく若者たち。年齢によるセグメントは、たしかに薄れてきているようには思います。

 しかし、既存の多くの組織はまだまだ、年齢をベースに成り立っています。その是非はおくとして、まずはそうした現実の中で生きていくのならば、それなりに上手に年長者に対応していってほしいものです。

 そして高齢者(すなわち私)の側も、いきなり都電をジャックするといった行動をとらないよう、上手に年齢を重ねていきたいものです。

 

《私が大学生時代に奨学金をいただいた団体の会報誌に載せた文章を転載》