60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

現場(genba)

この一週間は、一息ついて事務処理(確定申告、年金の確認etc.)と読書の日々です。


映画『ガキ帝国』を見かえしたり、研究面での興味の流れから
山本直美『「居場所のない人びと」の共同体の民族誌
遠藤誉『中国動漫新人類』
黄民基『奴らが哭くまえに:猪飼野少年愚連隊』
鈴木道彦『越境の時:1960年代と在日』
と読んできましたが、いずれも当り。
Ian Condry"Hip-hop Japan : Rap and the paths of cultural globalization"も当り。


Condryのいいところは、globalizationおよびlocalizationを論じる際に
“現場(genba)”を注視し、つねにそこに自らを投錨している点でしょう。
global/local、party rap/undergroundといったdichotomyにとどまることなく
その間(あわい)を見据え続けようとする姿勢。
上記の本のいずれにも共通して言えることです。
見田宗介のコミューン理解を批判した山本、
自らの体験にもとづき単純な中国理解を徹底的に排した遠藤、
エスニシティの多様なあり方を示した黄・鈴木…


これまた流れでHip-hopのCDを聞いていますが、テクニック云々よりも
KP(One Korea from ガムシャラ)やSilver Buck(ブッチ突破 from 闘狂)の
妙な「現場感」に惹かれてしまいます。
party rapもねぇ、もともとblock partyから始まったemceeなら
BGMにとどまってないで、も少しpartyの臨場感がほしい気がする。
TPDの市井由理のラップには、へんな現場感があったけど。
いとうせいこうの語るブロンクスは、頭よすぎてどうもねぇ。
ECDは自分に通ずるものがありすぎて、読んでてちょっとつらい…


ローカルにしか存在し得ない人間の(自分自身の)身体に通電するものとしてのグローバル文化…
この感じを、なんとか論文に仕立てていきたいものです。


来週からは研究会の発表準備をしつつ、今後の仕事の組み立てとか
研究室を移れることになったので、いっそうの部屋の整理とか
更年期をむかえて肉体の管理(通院、通ジム)とか…