60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(7)『アメリカとは何ぞや』とオダサク

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(7)『アメリカとは何ぞや』とオダサク

 

 敗戦後すぐ、フランスの経済学者アンドレジーグフリードの『アメリカとは何ぞや』(伊吹武彦訳、世界文学社、1946年)が出版されます。その訳者紹介には、「東大仏文科卒業、渡仏、現在三高教授」とあります。いうまでもないことですが、「三高」は旧制第三高等学校の略称であり、その後の京都大学教養部、さらには現在の総合人間学部の源流となる学校です。

 この『アメリカとは何ぞや』が小道具として活躍する小説に、織田作之助「それでも私は行く」があります。「夫婦善哉」で知られる織田ですが、この小説は京都の地方紙に連載されたものであり、戦後すぐの先斗町祇園界隈が舞台となっています(1947年には松竹により映画化)。ありがたいことに青空文庫で読めるので、興味ある人は一読してください(https://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/47287_42544.html)。

 この小説では、主人公である先斗町で育った梶鶴雄(超絶美青年の三高生)と彼をとりまく多くの女性たちとが描かれていますが、織田作之助らしき人物が小説家「小田策之助」として、また伊吹武彦を思わせる「梶鶴雄の学校の山吹正彦という仏蘭西語の教授」も登場し、また世界文学社(中京区寺町通錦角錦ビル)という出版社が実名で登場します。

 以下は伊吹による『アメリカとは何ぞや』の解説からの抜粋です(旧漢字は書き改めましたが、旧仮名遣いはそのまま、太字は原著傍点)。

 

98-9p「今アメリカ軍はわが国に進駐して日夜われわれの生活面に接触してゐる。これらの将兵アメリカの全部を代表してゐるわけでは無論ないが、しかし今われわれの面前に動いてゐるのはまさしくアメリカ国民である。一体アメリカとは何か。いま日本の大衆のアメリカ人を目して西洋人一般と考えてゐるのではあるまいか。アメリカ人は世界において特異な存在でありヨーロツパ人とは根本的に相通じつつしかも大いに異なる国民であることを理解してゐるものが幾人あるであろう。別の角度からいふならば、アメリカと対立してヨーロッパといふ旧き文明が今なほ世界の一角に厳存してゐることを、そしてそれがどんな意義をもつてゐるかを理解してゐるものがどれだけあるであらうか」
99-100p「われわれが目撃するアメリ将兵は実に雑多な人種から成つてゐる。あの黒人は一体アメリカ人なのか。アメリカ人とすればどの程度にアメリカ人であるのか。しかしわれわれはアメリカ人のなかにドイツ系ユダヤ系スラヴ系などおよそ世界各国の人種が混交してゐることを果して正確に知つてゐるであらうか。この書物の第二章「アメリカ民族の形成」は、この問題に対する明快至極な解答である。アメリカはあらゆる人種を包含しつつ、しかも忠誠なる一国民を形成した。われわれはこの驚異の実相に触れねばならぬ。それは一夜漬の英語会話を勉強するよりは遙かに重要な仕事である」

 

次に、以下は「それでも私は行く」からの引用です。

 

「鶴雄は河原町の方へ歩き出した。アンテナをつけたM・Pのジープが通ったあと、三条河原町のゴーストップの信号が青に変った。
 西へ渡って、右側のそろばん屋という妙な名前の本屋へ、鶴雄は何の気なしにはいって行った。」

 

その本屋で『アメリカとは何ぞや』立ち読みしたこと――内心「――なぜこの本がもっと早く出なかったのか。戦争中にこの本が訳されて読まれておれば、日本はばかげた戦争なぞはじめなかっただろうに……」――をきっかけに、梶鶴雄は山吹教授に会いに行こうと思い立ち、世界文学社をたずね、小田策之助と知り合い、二人で喫茶店に入ります。

 

「調理場の隅に備えつけてある短波受信機から、サンフランシスコの音楽放送が甘く聴えていた。小田はしばらくその音楽をききながら、何か考えこんでいた」

 

ついでに繁華街の様子も引いておきます(以前にも、占領期の京都についてふれましたが)。

 

「学生たちがセンター(中心)と言っている三条河原町に夜がするすると落ちて来ると、もとの京宝劇場の、進駐軍専用映画館の、「KYOTO THEATER」の電飾文字の灯りが、ピンク、ブルー、レモンイエローの三色に点滅して、河原町の夜空に瞬きはじめる。
 丁度それと同じ頃だ、キャバレー歌舞伎の入口の提灯に灯りがはいるのは――。
 提灯の色はやはりピンク、ブルー、レモンイエローの三色だ。
 ここはもとアイススケート場だった。
 アイススケート場が出来た頃、朝日会館と並んで、三条河原町の最もハイカラな建物といわれたが、しかし、今そのハイカラな建物に古風な提灯がついている。
 これが京都なのだ、今日の京都だ。
 新しさと古さの奇妙な交錯といえば、キャバレー歌舞伎という名前がそれだ。
 終戦後の京都にいち早く出来た新しい設備は、キャバレーだ。そしていくつかのキャバレーのうち代表的なのは、三条河原町のそれが、しかもこの代表的なキャバレーに選ばれた名は、古風の象徴とでもいうべき「歌舞伎」だった。
 ダンスと歌舞伎――。
 松竹が経営しているとはいうものの、やはり奇妙な対照だった。」

 

 京阪の三条駅がターミナルとして存在感を有していた頃、三条駅から阪急の四条河原町(現京都河原町)駅にかけてのエリアは、まぎれもなく洛中のセンターで、タンゴやジャズなどの戦後風俗と、芸妓さんたちなど古都ならでは風情とが入り乱れ、さらにはMP(military police)が走り回っていたわけです。

 そうした中、大衆は「アメリカ人を目して西洋人一般」としつつ、そして「あの黒人は一体アメリカ人なのか。アメリカ人とすればどの程度にアメリカ人であるのか」とはいぶかしがりつつ、このシリーズの(5)でもふれたように、日々暮らしを立てることに精いっぱいで、「アメリカとは何ぞや」を問うよりも、「それがメシのタネになるか否か」を最優先させて考えていたのでしょう。しかしまた、当時の大衆にとっては、日夜接しているアメリカ兵こそがアメリカであり、それを通してのみアメリカを感じてもいたのでしょう。そうした接触の中で、確とは言語化できないにせよ、また決して一様ではないにせよ、「アメリカとは何か」がこの時期共有されいたのだと思います。

 

 

BSTBSの「MUSIC X(ミュージック・クロス)」、Night Tempoをもっと活かせよ。ガチな音楽番組を期待していたのだが……FANCYLABO、よかったけど。