60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(6)日比谷・有楽町界隈

親バカですが、息子がインスタで公開。この春から、大学二年。映像専攻に進むようで、ともかくがんばれ。

 

【MAD】 大学一年生時に制作した映像作品たち 音源 :『Coward Me』龍崎一 ( DOVA-SYNDROME ) | Instagram

 

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(6)日比谷・有楽町界隈

 

 皇居のお濠端、日比谷通りに面した第一生命館ビル(現DNタワー21)にGHQ本部が置かれたこともあり、帝国ホテル(高級将校宿舎)、東京宝塚劇場(アニー・パイル劇場)など、日比谷・有楽町界隈の焼け残った建物の多くのは、連合軍に接収されていきます。これが銀座方面だと、百貨店がPXとなったり、米兵向けのキャバレーやダンスホールとなるわけです。

 そうしたビルの多くは、すでにこの世から消滅してしまいました。たとえば、三信ビル(現在は東京ミッドタウン日比谷)。1945年から50年まで、米軍第71通信隊・下士官兵宿舎だったとか。

 

103p「清水が突きとめたのは、日比谷の三信ビルだった。そこは占領軍の政商たちの巣窟だった。そこから直接仕入れることで利幅は飛躍的にあがり、それを大阪の喫茶店やレストランに持ってゆくと、飛ぶように売れた」(佐野眞一編『戦後戦記:中内ダイエーと高度経済成長の時代』平凡社、2006年)

 

 この清水とは、スーパー「ライフ」の創業者、清水信次氏(1926年生まれ)。ライフコーポレーション会長兼CEO時代に著した、清水信次『惜別 さらばアメリカ』(経済界、2009年)では、在日米軍基地撤収、専守防衛国防軍の創設、自衛のためには核兵器保有も辞せず、といった主張を展開しています。

 一方、GHQが駐車場としていた土地(現在はザ・ペニンシュラ東京)に、戦後建てられた日活国際会館(のちの日比谷パークビルヂング)にしても、アメリカンな雰囲気(残り香?)が漂っていたようです。

 

93-4p「当時、グレイハウンドの日本支社は、有楽町にあった日比谷パークビルに入っていました。そのビルには、アメリカの日用品を扱うアメリカン・ファーマシーや、カナダ航空、ヒルトン・ホテルの連絡事務所なども入っていて、まるで外国にいるようでした」(山口さやか・山口誠『「地球の歩き方」の歩き方』新潮社、2009年)

 

 私は1984年から丸の内の東京ビルで働き始めましたが、ランチなどはふらふらと日比谷、有楽町方面にも出かけました。日比谷パークビルのアメリカン・ファーマシー、懐かしい。現在アメリカン・ファーマシーを運営する会社のホームページによると「アメリカンファーマシーの原点は1950年。東京・飯倉坂上にあったアメリカ海軍将校倶楽部の一室にオープンした小さなお店が始まりです。その2年後、有楽町の日活国際会館(現ペニンシュラ・ホテル東京)に移転し、店名を「アメリカンファーマシー」として営業を開始しました。当時のお客様は、外国人が主流で、他店では買えない魅力あふれる輸入商品が並べられ、まさにアメリカの文化をお店で体現していました」とのこと(https://www.tomods.jp/company/ap)。

 田中康夫『POPEYE BOOKS 東京ステディ・デート案内』(マガジンハウス、1988年)でも、新橋から展開するデートコースとして以下のような記述があります。

 

49-50p「昼食の後は、アメリカン・ファーマシーである。『ポパイ』の”グッズ特集”などの時には必ず登場する店である。/もちろん、各種の医薬品がある。なぜか、牡蠣エキスの錠剤は扱っていないけれども、ビタミン剤ならば内外の製品が一堂にズラリ、である。/もっとも、二人でアメリカン・ファーマシーを訪れた目的は、別のところにある。シャンプーや石鹸、オーデコロンが各種、取り揃っているのをチェック。文房具やお菓子が取り揃っているのもチェック。これであった。/特に、友人の持っていない文房具を見つけられるのは、今や、ここしかないと思われる。最近、ようやっと、デートをする相手が見つかったような、『メンズ・ノンノ』や『ホットドッグ・プレス』の読者にふさわしいのが、ソニー・プラザであるならば、空気のようになりつつあるカップルには、アメリカン・ファーマー」

 

 今ではちょっと高級な都市型ドラッグストアくらいになっているのでしょうが、1980年代までのアメリカン・ファーマシーには独特な存在感がありました。

 このように米兵たちの闊歩する有楽町や銀座界隈をテリトリーとする、いわゆる「パンパン」たちの生態を描いた小説が、田村泰次郎肉体の門」(1947年に発表)。またWikipediaの「ラクチョウのお時(ラクチョウのおとき、1928年~没年不詳)」には、「戦後日本の元街娼(パンパン)の通称。マスメディアへの露出を経て、その後の更生によって広く知られるに至った人物。「ラクチョウ」とは東京・有楽町の通称」とあります。また、これに関連した項目として、NHKの朝の連ドラ「ブギウギ – ラクチョウのおミネという人物が登場する(演:田中麗奈)」「メリーさん」などがあがっています。横浜のメリーさんに関しては、多くの書物やドキュメンタリーフィルム参照のこと(映画「ヨコハマメリー」2005年、檀原照和『白い孤影:ヨコハマメリーちくま文庫、2018年、中村高寛ヨコハマメリー:白塗りの老娼はどこへいったのか』河出文庫、2020年)。

 

4月1日、入学式朝の光景。

時計台側から撮ったので、鏡文字になってますが。