60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

AOのことなど



たぶんこれは、スコットランドイングランドのボーダー(国境)あたり。
湖水地方方面に行った時に立ち寄ったような記憶が…
(ちなみにウェールズとのボーダーだったら、レイモンド・ウィリアムズ)
前回はスコットランドの北海側に浮かぶ城だったような
さらに前々回はスカイ諸島へ行く途中だったような…


今朝の朝日新聞、1面に「進路なく大学卒業2割」
社会面に「一般入試3割満たず 私立大学AOで学生確保」
「就活支援「単なる予備校」」とある。


大学の就職予備校化を否定的な文脈で語ってるようだが
大学がちゃんと就職予備校として機能してないから
「進路なく大学卒業2割」ということになるんじゃあ…


書いてる記者さんたちの多くが、一般入試で大学入ってるがゆえの違和感?
とも思う。違和感の吐露はわかるが、だからどうするべきかはよくわからず。
まぁ、大学業界にいれば、あたりまえの事態、既知の情報であっても
世間的にはまだニュースバリューはあるってことなんだろうか。


ただ、AO入試(≒自己推薦)が、「低学力の生徒であってもそこには目をつぶり…」とか
「学生数早め確保のための苦肉の策」とか、一括して論じられているのは、どうしたものか。
今の大学生は低学力ゆえに就職先見つからず、という短絡した論理が透けて見えるのも、どうしたものか。
こちらも自校・自学部での経験でしかものが言えないが、
(1)AO入試組にも(もしくは推薦入試一般でも)学力の高い学生は多い
(2)AO入試組の就職実績に遜色はない
くらいは主張しとくべきかと思う(って、まぁゴマメの歯ぎしりでしかないけれど)。


(1)に関して言えば、出願の資格に高校での評定平均値を加え、
別途、英語・論作文の筆記試験を課してきた(筆記試験の点数で足切りしてきた)。
(2)に関して言えば、志望理由書にて、高校で何をしてきたか、そこで何を得たか
それを大学での学びにどうつなげたいか、それを自身の将来にどうつなげたいか…
を書かせた上で、筆記だけではなく面接試験も課してきた。つまり、大学3〜4年生が経験する、
エントリーシート→面接試験という就活の流れのようなものを、高校3年生に対して課してきている。
自校・自学部のAO入試の場合、面接の結果次第で不合格者も出てくるために
「評価の基準が曖昧」「うちの子のどこがダメなんですか」といった批判も当然生じる。
だが、高校3年の時点で、大人とフツーに受け答えできる生徒というのは、
非常に希少・貴重でぜひとも迎え入れたいのだが、その受け答えの良否を数値化するすることは不可能。
定量的だから客観的で公正だ、というものでもなかろうし、企業等の採用面接も基本的には同様だろう。
(志願書に書いたことを棒暗記し、それを単に繰り返すだけ、そこから一歩も出てこない受験生もいるが、
こうしたタイプは大学生の就活でも存在するよう。で、就活の場合、それでは早期の段階で消えていく)
面接に対する準備を着実にした上で、その場に臨んでも大人たちと
的確に気持ちよくコミュニケーションがとれるような生徒たちは、
3〜4年後も同様なことができる学生になる蓋然性が極めて高い。
就職の実績を上げたければ、一定の学力は担保するにしても、
筆記よりも面接重視で大学入試をやればいいように思う。
公務員や教員の採用試験も、面接の比重は増えているのだろうし。


ということで、AO入試(組)を一括して否定するような暴論は、否定しておきたい。
以前にも書いたかもしれないが、どのような入試制度で入ってきた子の中にも
「デキる子もいれば、ダメな子もいる」。筆記試験ではかれるのは、人間の能力の一部に過ぎない。
ゼミ生の中にAO入試組もいる(いた)以上、またその子たちが高い学業成績や就職実績をおさめている以上、
フォントをゴチにして、ポイントを大にして主張しておきたい(でも、その方法がわからない)。


あとねぇ、大学の就職予備校化って言われても、
昔から卒業後の定職を求めて、多くの人は大学に進んだんじゃないのかねぇ。
そんなに、この世に資産家の子弟・子女が満ちていた(いる)とも思えないし。
私も仕事を求めて大学に行った(って、文学部行くあたりが、どうにも)。


しかし、センター利用入試のボーダーであれこれ考え込むより、
ボーダー地方にあるハドリアヌスの壁(イギリス版万里の長城)の遺構前で
羊や牛を眺めながらヘラヘラしてた頃の方が、幸せだった…