60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

誕生日の夜、ピザを焼かれた。

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息子が焼いてくれたピザ。生地からつくったんだそう。

 

いよいよ来年は還暦という誕生日、台風の雨風が残っている中、何を観にいってるんだかなぁ、せめてもっと明るい映画にすればいいのにと我ながら思いつつ、「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」を観てくる。

 

映画自体は、料金分以上に楽しめた。音楽映画としてライブ映像だけを見聞きしても、じゅうぶん元がとれそう。まったく飽きずにラストまで。
備忘までに、思いついたことランダムに。

 

すでにここでも書いたが、息子ともども渋井直人新規というよくわからない入り方をしたため、欅坂(というか渡辺梨加)をしかと認識したのは昨年のことで、今年に入り録画してあった渋井直人を観た息子が、さらにアマゾンプライムで徳山大五郎が観られることを発見し、彼にアマゾンプライムの操作を教えつつ一緒に観たのがこの2~3月あたりだったと思う。
https://sidnanba.hatenablog.com/entry/2020/05/21/224108
https://sidnanba.hatenablog.com/entry/2020/07/19/000000

当初は、最年少のセンターの子、なんてったっけ、でもあの子最近やめたんでしょ、みたいな調子だった(将棋が好きなので、乃木坂でわかるのは伊藤かりんだけ。体育会弓道部長なので、日向坂で興味あるのは高本彩花だけ、みたいなのと同レベル)。しかし、徳山大五郎にはまり、1期生の顔と名前をおぼえ(役名=実名だった)、その勢いで「残酷な観客達」をhuluの1ヶ月無料体験で観るというせこい行動に出るも、そちらには父子ともに今一つはまらず。

残客って、結局てちねる(平睡)話で、徳誰みたいに皆にスポットライトが当たっていない(当てにいってても薄い)…、同じループものにしても、何だこの手ごたえの違いは…(脇固めてる俳優陣の違いもあるけど)。メディア論としては、ちょっとおもしろいが…。やはり、徳誰成り立たせていたのは「現場のベリカ」で、平手が話を回していたけど、ベリカ以外にも理佐ねる(理睡)とか、キレる米桑・土生醤とか、佐藤だよとか、山形弁とか、見どころいろいろあったよなぁ~

などと言いつつ、ネットで拾える欅坂関連の動画を遡って観ていくと、「ベリカ2号機」やMVなどでpe醤やっぱすごいよね、とはなるものの、結成からの経緯が何となくわかってくる。アイドルグループにいる必然性のないようなカリスマが一人いて(追っかけでもう一人入ってくるけど)、それがために、あれやこれやがあったグループだったことを認識する。

 

特別研究期間(サバティカル)に何やってんだ、との声もあろうが、なかなかこの動画漁りは貴重な体験だった。アイドルグループやそのファンダムで卒論書く学部生はもちろん、そうしたテーマで修士論文を書こうとする留学生たちとつきあう必要上、グループアイドル特有の、グループ内の関係性を消費するファン行動や、二次創作の広がり、グループ毎のリアリティプログラムや冠番組の役割、アイドルファンダムにおけるSNSなどネットの機能、各種コンテンツの海外への伝播の様子などを、少しは体感できたのはありがたかった。

過去のものを含めて各種アイドル冠バラエティを掘っていても、ひな壇番組嫌いの身としては、誰もあまり前へ前へと出ようとしない欅坂のものが、いちばん観ていて楽だった。明るく元気な48、フェミニンな先行坂道、健気な後続坂道などと比較したとき、マーケティング上の戦略という以上に、意図せざるものであろう欅坂の脱力感・平熱感による差別化――楽曲やパフォーマンスとは裏腹(ギャップ萌え)の――は、こちらにとってはありがたかった(いや、単にMCとの相性の問題なのかもしれない。一番好きなのは、初期NMBブラックマヨネーズないしフットボールアワーの組み合わせだが。あと、サンドウィッチマン、よかったのに)。

 

まぁ上述のようなタイミングから追っかけ始めたわけだし、すでに1期生たち(のみ)の物語は終わりかけていたしで、父は「2期生ハコ推し」を選択(西日本出身者多いし)。ところが息子は、徳誰への思い入れが強いのか、1期生の間で推し変ローテーションをくりかえしていく。家庭内同担回避としても、その方が都合がよいというのもあったのだが。

 

というわけで、1期生たちの物語であろうから、まぁお勉強しとこうくらいのスタンスで映画を観にいったわけだが、なかなか情動というか、やはりエモい。どういったストーリーも組み立てられうる素材なだけに、受け取る人によっては「カリスマを大人たちは酷使し、他のメンバーたちは依存した」という話になろうし、「カリスマに振り回された大人たちと他メンバーたち」ともなろう。本当のところはわからない。ドキュメンタリーとはあるけど、本気にドキュメンタリーであろうとするなら、渦中のカリスマ当人や大人たちの核心(TAKAHIRO先生ではなく)へのインタビューがあってしかるべきだろう。

映画を製作した大人たちとしては、当然、カリスマも他メンバーもその価値を傷つけない、「カリスマからの自立の道を歩む他メンバーたちの希望の物語」としたいのだろう(ここでいう価値には、もちろん商品価値も込み)。それに監督が、微妙に従い、微妙に抗っているようにも見える。ともかく、解釈の仕方はさまざまで、でも解を示さないことが誰にとっても正解な対象。誰にも正解などわからないし、歴史の検証に委ねるしかない。

 

この映画を観ていて、思い出した映画としては、まず「キサラギ」。急死したアイドル・如月ミキについて、元ファンたちが集まり、語りあう。語れば語るほど、如月ミキの像は拡散し、収斂しない(でも元ファンたちは最後に皆でヲタ芸を打つ)。しかし、あれはフィクションだしなぁ。「僕たちの嘘と真実」は現実に当事者がいてということで、何が嘘で何が真実かは、やはり受け取る側次第。答えを出さず、それがアイドル(偶像、虚像)ってもんだろう、という開き直りのすがすがしささえも感じる。

あと、追悼の意を込めて再度アラン・パーカーの「ザ・コミットメンツ」を観かえしたくなった。一つのバンドが生まれ、消えていく物語。フィクションだけど、ものすごくリアル、胸にくる。ドキュメンタリーだったら、ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」をまた観たい。「僕たちの嘘と真実」は改名・再生へと向かう話なのだが、ともかく1期生たちの欅坂はひとまず終わるということなので。

 

ネットでの議論を軽く眺めてみると、やはり「大人たちはカリスマを酷使し、他メンバーたちは依存した」派と「カリスマに振り回された大人たちと他メンバーたち」派に分かれる感じ。映画中にも「大人たちの責任」の語はあり、それをめぐってもいろいろ意見あるようだけれども、すべては大人たちが仕組んだものである以上、大人たちの側に全責任があるという議論は、メンバーたち(さらにはファンたち)をなめすぎ、子ども扱いしすぎのような気がするし、一方、すべてはメンバーたちの自己選択・自己責任だろというのもなんだかなぁ。

でも、初期からのファンではなく、そのあたりの議論に深く立ち入る熱量はこちらにはないので、以下は「2期生ハコ推し」の立場からの雑感。

・9 thシングルのMVお蔵入りは、たいへん残念。なんとかしてほしい。

・もっともエモかったシーンは、ダンススタジオのバミリテープはがしで遊ぶ2期生たち。

・前述の「カリスマからの自立の道を歩む他メンバー」という物語の象徴が小池咪醤なのはよくわかる(他は理林葵?)。だけど、すでに欅坂がある状態で、それに憧れて入った2期生の方が、欅坂の呪縛が強いかもしれない。それからの離脱とそこからの離陸の物語――要するに2期生中心の展開――を今後みてみたい(『青春の瓶詰め』のサイン会のあった西宮ガーデンズの映画館で観といてなんだが)。

・つまり2期生を1期生がサポートする(自らが後見役に回っても)ような体制・体質であってほしい。今年のバレンタイン企画(旧2期生9名が1期生にチョコを送る)などは、まさしく関係性消費かもしれないけど、今後のあり方に対して、いろいろ示唆的だったと思う(というか、ファンやら視聴者は勝手にもろもろ読み込む)。本命チョコの授受があった5組は、やはり安定感がある(慕う先輩がいる効果、慕ってくれる後輩がいる効果。cp厨っぽいけど)。改名後も支えあっていってほしいものだ。義理チョコ集中のキャプテンも人望あるんだろうから(全方位世間受けもよさそうだし)、改名後軌道にのるまでの間は、もうひとふんばりお願いしたい。他にも義理がそこそこ集まった1期生は、2期生の面倒こまめに見てたり、2期生から愛玩されてたり。当日の1期生の欠席等により、本命チョコを渡していない2期生4名も、それなりにグループ内で地歩を固めているようで、まぁ安心(やや不安もあるが)。新2期は未知数だけど、頭角表しだしてるし、このまま伸び伸びと育ってほしいものだ。

 

今後の路線はよくわからないけど、しばらくハコ推しは続けようと思う。この年になって、というかこの年ゆえに微妙な差異の識別のつきにくい若い子の集団を、今回、とりあえず顔と名前を一致させたのだから(個体認識!)、もう少し楽しみたいと思う(もったいない、もったいない)。毎年、20数名のゼミ生の顔と名前を判別・記憶し続けることが、年々苦になる今日この頃。

ま、どんな路線になっても受け容れられそうな気がする。もともと、唯一アイドルにはまった前歴が、90年代の東京パフォーマンスドールなので、他の46や48よりは受け容れやすかったにせよ、個々の声が識別しにくいユニゾンとかコンテンポラリーダンス調とかが好きだったわけではない。しかし、それ言い出すと、いちばん聴きやすいアイドルグループ(?)は、ザ・コインロッカーズとなってしまいそう(ツインドラム、トリプルドラムとか言われるとサザンロック(オールマンブラザーズバンド!)好きの血が騒ぐ。リヴォン・ヘルムとリンゴ・スターのup on cripple creek聴きてぇ!)。う~ん。放っておくとアイドルにせよ何にせよ、やたらマニアックなところに行ってしまう性癖なので、まだしもメジャーどころで興味が持てる欅坂というのは、たいへん貴重な存在だった。

 

あと、改名後、妙なファン呼称ができるのは、ちょっと勘弁願いたい。そうはならない改名を期待したい。

昔、映画「幕が上がる」を観て、これ一歩間違うと、モノノフと呼ばれかねない、とブレーキがかかったことがあった。「おひさま」と呼ばれる人になるのもためらわれる。欅坂だったら、ヲタとかキッズとかカスとか呼ばれるだけなので違和感はない(いや、その年でキッズ呼ばわりは嫌がれよ)。あとは清掃員とか。軽めだけどPASSPO☆のパッセン(ジャー)も、バカっぽくて好きだった。時代を遡れば、slaveとか仔猫ちゃんとか。昭和までいけば、外道集団。それを考えれば、デッドヘッズ(グレイトフル・デッド)は、よくできてる。

 

それからシングル重視とかカップリング(B面?)とかは、もうえぇだろうと思う。ドーナツ盤原理主義者が、まだまだ音楽業界仕切ってるのかなぁ…。新グループは、シングル出すたびに選抜とか言わないで、楽曲によって適宜参加メンバーが決まり、いくつか出した曲(別に五月雨式でもよい)の中で自ずと「シングルカット」的な曲が決まっていく…という仕組みでいいのでは。シングル出すお祭りとして握手会を…といったビジネスモデルは、もう当分は無理だろうし。選抜騒ぎやセンター争いに、そろそろ世の中飽きてると思うし、ハコ推し派としては平和がいちばん。皆にそれなりに居場所があってほしいものだ(外仕事がんばることで、グループ(の知名)に貢献するのもありで)。要は、比較的多くのメンバーが参加する曲とかユニット曲とかソロ曲とかが、入り乱れて並存する状態がよいように思うのだが、質・量的に楽曲の供給が回っていくんだろうか…というのが最大の気がかり。

 

最後に兵庫県出身のアイドル。松浦亜弥南野陽子浅野ゆう子「恋はダン・ダン」。

 

明日は大学院入試の面接立会いからのzoom会議。