60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(16)城山三郎とフラワー・ムーブメント

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(16)城山三郎とフラワー・ムーブメント

 

 作家・城山三郎と言えば、経済小説の草分け的存在で、歴史小説なども多く、どちらかといえば重厚な作風で、中高年男性向けといったイメージが私にはあります。ですが、1967年(当時城山は41歳)に出版された『ヒッピー発見 アメリカ細密旅行』(毎日新聞社)は、4カ月半にわたり北米をバスで駆け巡った紀行文となります。

 船でサンフランシスコに着いた城山がまず目にしたのは、「ヒッピー族」の群れでした。

 

36p「美しいサンフランシスコの街に下りた私に、最も衝撃的だったのはビートの大群であった。私は啞然とし、同時に下船時の感慨をたしかめられる思いもした。…ビート、またはビートニクという言葉の意味そのものもあいまいであるが、このごろではヒッピー(hippie)と呼ぶ。「ビート」では獣的な感じがあるからと、彼ら自身でそう改称したというのだが、この由来もまたはっきりしない」

 

 ビートの由来は、1950年代に隆盛した文学運動「ビート(ジェネレーション)」から。ビートニクスたちの愛した音楽は、ジャズでした。一方、60年代に入っての「ヒッピー(ムーブメント)」は、そこに新たなサイケデリック・ロックなどの要素が加わり、ベビーブーマーの巨大な人口の塊、泥沼化するベトナム戦争(に対する反戦運動)、公民権運動、反資本主義(自然回帰)の思潮などが絡まりあい、大きなうねりとなっていました。

 

37p「ヒッピーの大群に襲われたサンフランシスコでは、この夏にはヒッピーの数が十万を越すかも知れぬとして(同市の人口は八十万)、市長がその抑制措置をとると二、三日前発表したところだという。/ハイトに近づくと、なるほど、いるわ、いるわ。ヒッピーのトレード・マークである肩に垂れる蓬髪(ほうはつ)が、路上にあふれていた。金色(ブロンド)、亜麻(あま)色、栗(くり)色、にんじん色……」

 

 文中「ハイト」とあるのは、ヘイト・アシュベリー。Wikipediaには

 

Haight-Ashbury is a district of San Francisco, California, named for the intersection of Haight and Ashbury streets. It is also called The Haight and The Upper Haight. The neighborhood is known as one of the main centers of the counterculture of the 1960s.

 

 とあります。再度、城山の文章を引きます。

 

50-1p「アシュベリ通りに折れて、わたしはあっと思った。眼の前の公園に黒々と人だかり。ヒッピーたちの大群がそこにいた。おんぼろトラックの上で、バンドが演奏している。そのまわりをびっちり埋めつくし、公衆便所の屋根にまで上っている。/そのヒッピーたちの服装の多様さ。目近に見ると、細部にまで趣向をこらし、一人として同じ服装はない。音楽がたかまると、大群衆の一部が躍り出した。手をつないで盆踊りふうに踊り出す一群もあれば、男女が組になって踊るのもある。ロウソクをにぎって踊る女もある。顔は桜色に染まり、息をあえがせ、眼を夢見るよう。男と女が互いに、息を吸わんばかりに重なり合い、性的陶酔そのままである。市民たちが、とまどい、きょとんとした顔つきで見つめているが、彼らの陶酔はさめない。/楽団の長い演奏が終わると、こんどはいくつかの小グループが、あそこの木陰、ここの草むらといったふうに陣取ってそれぞれの演奏をはじめる。「地獄の天使」と呼ばれるオートバイにまたがる乱暴者たちも来ていたが、その一人がヒッピーといっしょに踊り出し「あんたもどう?」としきりに市民を誘い出す。ついにパン屋のおやじさんふうの男が「そうか、そうか」といわんばかりに踊り出して拍手がわく。/アメリカの村祭りである。すべてがキリストの昔に帰ったような、のびやかなふんい気である。物質文明によって失われたものが、そこにある。日の暮れるのが惜しまれた」

 

 楽団(=バンド)や地獄の天使(=ヘルス・エンジェルス)と言った言い回し以外にも、落伍(ドロップアウト)や愛頑動物用(ペット)(←愛玩か?)などのルビやLSDによる「目下旅行中(ジャスト・トラベリング)」といった表現など、なかなか味わい深いです。愛知学芸大学(現愛知教育大学)にて教員の職歴も持つ城山にとってはカルチャー・ショックの連続だったのでしょう。

 ヒッピーたちの集まる禅の講演会にも出かけたとのことで、同書には「ヒッピー族の新聞「オラクル」に出ていた般若心経」の図版も掲載されています。

 

「願はくはこの功徳を以つてあまねく一切に及ぼし我等と衆生とみなともに仏道をなさんことを

NEGA WA KU WA KONO KUDOKU O MOTTE AMANEKU ISSAI NI OYOBOSHI WARERA TO SHUJO TO NINATOMO NI BUTSUDO O JYO ZEN KO TO O

What we prey, this merit with universally all existence pervade we and sentient being all with Buddhism achieve」

 

 なるほど。こうした動き――対抗文化(カウンターカルチャー)や精神世界(ニューエイジ)、エコロジーフェミニズムetc.――は日本にも伝わり、各地にコミューンができたり、新宿界隈に「フーテン族」「アングラ族」「サイケ族」と呼ばれる若者たちが出現したり、影響を受けたバンドが族生したり(「フラワー・トラベリング・バンド」「めんたんぴん」「村八分」「裸のラリーズ」「外道」「カルメンマキ&OZ」「ブルース・クリエイション」「ファニー・カンパニー」「センチメンタル・シティ・ロマンス」「サンハウス」…)。

 占領期には「アメリカ」の存在が全世代にインパクトを与えたのに比して、60年代にはアメリカが「団塊の世代」を直撃したと言えそうです。

 

150人中の一名として寄稿してます。

 

今日は知人の葬儀など。